■10/12(金)Day & Taxi

クリストフ・ガリオ(アルト&ソプラノ・サックス)マルコ・ケッペリ(ドラムス)ダニエル・ステューダー(ダブルベース)によるスイスのトリオ、ディ&タクシーのライヴを聞く。ガリオを中心としたこのトリオは92年に結成され、昨年よりこのメンバーで演奏しているそうだ。おそらく全てガリオの作曲となる演奏は、トリオの高度な技量を駆使しながら実にストレンジな印象。一種の白昼夢の様なシーンが展開してゆくような感じだろうか。ジャズ・イディオムに留まらない様々な手法や要素が巧みにミックスされている。昔聞いたガリオのソロ作品にも顕著だった映画音楽のようなイメージ豊かな作風が深化した演奏。彼らの確かなサウンド・ヴィジョンをじわじわと感じさせてくれる別の白熱は、フリー・インプロヴィゼーションの形骸化した展開や白熱とは対極にある。そしてガリオの、特にソプラノ・サックスには、モンク〜レイシーのラインの偉大なエッセンスも感じさせていた。というわけで、この夜ぼくはガリオと12年ぶりに再会。89年10月、オープンハウスで一緒にセッションした(with Kick Wada、柳川芳命)以来だ。時代に流されず、自分の音楽を追究し続けるその姿はさわやかだった。(岡崎豊廣)
■10/13(土)第一回「詩のボクシング」愛知県大会

言葉の響きを感じた貴重な時間と空間であった。トーナメント形式で行われた戦い。読み手も聞き手も、年齢も性別も職業も種々雑多。1回戦、予選を勝ち抜いた16人の詩の題材もバリエーション豊か。(視力0.08の世界、洗濯日和、場末のストリップなど)。腹から湧き出てくる言葉が自身の声で一体化され、詩が読まれていくさま。そんな言葉の表情を聞き手の人たちは、どのように受け止めていたのだろう?普段、日常生活で使われている何気ない言葉に対峙する良い機会が与えられたように思う。敗者復活戦もあり、2回戦や準決勝を勝ち抜きながら、場に慣れ、磨かれていくボクサーと言葉を見られたのも興味深かった。それぞれ応援していた(またはお気に入りの)ボクサーがいたことだろう。決勝戦の即興詩が、一番の見物であった。くじで引いたテーマ「ビンラディン」に挑んだのは、姫ひょっとこさん。彼女は暫くの間、考え込み(聞き手も静かに見守る)、確信したかのように、言葉を噛みしめて「ヴィンラディンさん、私のビビンバを食べないで下さい」。そのビビンバはどんな味がするのだろうか。林本ひろみさんは、「お金」。5円玉を覗くと、見知らぬ男が刃物を持って近付いてくる。妄想族の世界。妄想族の林本ひろみさんが、優勝。全国大会も楽しみです。
(古橋都代子)
■10/16(火)キセル

 今回見るのが2度目のキセルは、京都出身兄弟二人組。あの音楽何と呼んだらいいんでしょうか。二人ともボーカルを取り、兄はギターで弟がベース。時に打ち込みのバックトラックを使うが、これが今どき珍しいカセットテープ。アルバムの録音がDry &Heavyの内田直之だったり、フィッシュマンズと比較されたりするけど、レゲエってジャンルにはとても括りきれないなぁ。ステージで面白かったのはPAがかなり過激で、ダブっぽくディレイを多用する中、打ち込みが思いっ切りデカくなったり、ボーカルのエコーが消えて全く素の声になったりしてた。あれってワザと?それから照明。突然客席めがけて青や白の強い光をあてるのはやめてください(笑)。ここはクアトロではありません、朝までやってる呑み屋です。てな具合にいろんな小技で笑わせてくれる中、自分達の音楽を「眠い、長い、遅い」と茶化しつつこれ以上ないというくらい淡々と演奏が続いた。一度たりとも歌やMCが予定調和な盛り上がりを見せることはない。パサつかないし、ベトつかない。時代を読み取り、軽くいなすことのできる自信を強く感じた。60年代のグリニッジ・ヴィレッジのカフェで初登場したディランってどんな感じだったんだろうか?僕はそんなこと思いながらキセルの二人を眺めていた。(カノーヴァン・新見)
■10/18(木)KIKI BAND
[梅津和時(sax)鬼怒無月(g)早川岳晴(b)新井田耕造(ds)]


1曲目からいきなり「5拍子」という(なんて、そのまんまなタイトル・・・!)変拍子の曲で始まったKIKI BANDは、私が日頃あまり聞かないジャンルのバンドであった。梅津和時、新井田耕造は以前TOKUZOで「こまっちゃクレズマ」で聞いた事があったし、早川岳晴、鬼怒無月はちょうど1ヶ月前くらいに「COIL」を聞いていたので興味を持って行った訳だが、変幻自在のカメレオンのようなバンド、まさにその通りだった。どこか哀愁漂う、チンドン練り歩き系の「こまっちゃクレズマ」とは全く別の色彩を持ったKIKI BANDでは、梅津は最後にストラップが切れてしまう程吹きまくり、かと思えば「Vietnamese Gospel」(この日聞いた曲の中で私が唯一知っていた曲でもあり、私が大好きな曲でもある)などは美しく唄い上げる。激しいソロに見入ってしまう鬼怒も、途中アコギを使った曲があって、スパニッシュギター風というのだろうか?とても印象的だった。そしてジャンルなんて良く分からないけど、どうでもいい。面白い事には変わりはない。この日、たまたま運良く前列の真ん中の席に座った私は、目の前で次々と変化する何色もの色を堪能したのだった。(上林友紀)
■10/24(水)モンゴル国立民族歌舞団

 年に一回演ってきてくれる「モンゴル国立民族歌舞団」リーダー格のハスバートル君はもう顔なじみで「どうも」と言うと「久し振りぃ」。嬉しいことに今回は以前一度来て、すばらしいオルティンドーを聴かせてくれたシャルフーヒンさんも一緒である。なんでも、モンゴルに二人しかいないオルティンドーの名手とされる国宝のような人だそうだ。オルティンドーは「長い歌」という意味だそうで、言葉を長く引き延ばしこぶしを自由にきかせて、ゆっくりと唄う。「りんご追分」なんかも唄ってくれたのだが、拍の長さを無視して引き延ばしたりするのに、すっとバックが寄り添っていくといった感じだった。聴いたことのない発声で、素朴で力のある歌だ。純粋な声とでも言うのだろうか。声自体の持つ凄みみたいなものにこちらも、ストレートに感動してしまうのだ。シャルフーヒンさんもそうなのだが、モンゴルの人達はみんなシャイでおくゆかしい。農協がJALのカバンを斜め掛けして海外を闊歩する以前の、日本の田舎の人達はこんな風だったような気がする。世界のありとあらゆる国で、その純粋な声を聴かせながらも、今もモンゴルではパオに住み、遊牧的な生活を続けているというシャルフーヒンさん。彼女と同じ場所で、同じ空気を吸っていると思うだけで、僕はなんだかすごくホッとするのでありました。(森田)