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■10/3(火)大工哲弘&ちんどん通信社+渡辺勝・中尾勘二・船戸博史 「ちちんどんどん、とざい東西〜」と始まったジンターランド発売記念ライブ。大阪のちんどん通信社[林(ちんどん/tp),川口(banjo),小林(cl),ぴんきー(acc)]のユーモア溢れる演奏は観客との距離をぐっと縮めた。笑いと拍手とかけ声を引き出したところで、大工哲弘(三線、唄)の登場。前日の東京での聴衆の反応とはグンとちがった手応えを名古屋では感じたらしく、ステージ上で楽しんでいるのがよく伝わる。二回目のツアーとだけあって大工さんと通信社一行の息がよくあい、だじゃれも絶好調。2セット目は船戸博史、中尾勘二、渡辺勝の頼もしい顔ぶれにがっちりと支えられて大工さんのすとーんと伸びる声がちんどん通信社の奏でる路上の音にのせられていく。唄の中に在る沖縄、大阪、満州、鹿児島、東京といった様々な場所,そして明治,大正,昭和、ライブ真最中の「今」という様々な時間。それら全てが大工さんと通信社さんの掛け合いでつなぎ直され、聴き手の口笛や拍手とともに新しい「場」が創り出されていった気がした。細川周平氏はジンターランドをいみじくも「古い唄の虫干し」と評したが、今夜は虫干しする事によって生まれる独特の新しい「場」が音を通して体感できる大盛り上がりのライブだった。八重山民謡だけを大工さんに求めて来なかった人、損したかもよ。(阿部万里江) ■10/12(木)13(金)『鈴木亜紀meetsリリアナ・エレーロ』 一度聴いたら,心に刻み込まれて決して忘れない唄声.得三に響いた彼女の声は,まぎれもなく,リリアナだった.自由奔放で,繊細で,人肌のような温もりに満ち溢れた唄.それは果てしなく広く,とてつもなく深く、フォルクローレというカテゴリーに収まりきらない、大きな、大きな唄だった。心の中で、何かが僕を揺さぶった。...母性!? そう、得三はまるでゆりかごの様だった。胎児の時、僕らは母の話し声や歌、怒りも笑いも全て聴いて生まれてくる。目をつぶっても、耳を塞いでも、体で感じるのだ。母と共に、その苦しみも、哀しみも、驚きも、そして歓びも。遠い記憶が蘇ってくるような感覚に、僕は震えた。決して自分一人ではないと思う。事実、終演を皆が立ち上がって残念がった。声を求めて拍手の渦が何度も何度も繰り返されたのだから。リリアナを紹介してくれた、鈴木亜紀。彼女の音楽もまたカテゴリーでひとくくりに表せない。「鈴木亜紀の唄」以外の表現ができないのだ。リリアナの生命の躍動が、鈴木亜紀をいつにも増して輝かせる。逢うべき時に、逢うべくしてリリアナに出会ったのだと思う。まるで月と地球の様に惹かれあって、その夜の鈴木亜紀もまた格別に素敵だった。魅力に溢れた2人の唄声を、僕はこれから死ぬまで忘れないと思う。! Muchas gracias !(ドクトール兼松) ■10/21(土)詩人類スペシャル2「曲々玉々」 桑原滝弥さんプロデュースによる、谷川俊太郎さんを招いての詩の朗読イベント。第一部は「俊読」、第二部は小室等さんと谷川賢作さんのライブ。紙数が限られているので「俊読」のことだけ書きますが、音楽でいうカヴァー、リミックスのように様々なタイプの詩人たちが、谷川作品を独自に解釈し、それぞれの肉声で語り直すという試みでした。今回登場したのは、主に名古屋でリーディング活動をしている詩人の方々。若原光彦さん、洪美怜さん、水尾佳樹さん、ジュテーム北村さん、加久裕子さん、そして急遽ゲスト参加の俳優・神戸浩さん。読み手によって、こんなにも違う表現に生まれ変わるのかという面白さ。谷川さんはそれらを愉しそうに聴いていて、感想をコメントしていました。自分の作品が滅茶苦茶にされるのもまた快感なんだそうです。その後、自らも「百三歳になったアトム」「詩人の墓」などを朗読。満員の会場中がじーっと聴き入っていて、こういう言葉との向き合い方というのは貴重だなぁと思いました。いつも当たり前のように言葉に囲まれて生きている僕たちは、自分の生活の周りの言葉に実はかなり倦んでいるのかもしれない。そこへ詩人たちが新鮮な風を送り込んでくれた気がして、彼らの言葉に耳を傾けながら、元気が湧いてくるのを感じた一夜でした。(シマウマ書房 鈴木創) ■10/26(木)早川義夫with Honzi・梅津和時 ぎりぎりだ。聴く方も本当にしんどい。(でも、うれしい。)― 客層は、ジャックスの頃からのファンが多そうで年齢はやや高め。 梅津のソロから穏やかに始まる。早川の登場。少し髪が長くなって若返った印象。そして、歌がはじまる。 なんという存在感、説得力。 何故、こんなに引き込まれる? 何故、こんなに聴くものを真摯にさせる? 圧倒的に迫ってくる早川、それに身を委ねて、たゆたうHonziの音、刺激的ですらある梅津の音。 音楽とは、音楽としての完成を目指すのではなく、自分自身をあなたに流出させるためにあり、それができるのが音楽だ。ああ、私もやりたい。 MCがなく、次々と曲が続くので、こちらも気が抜けない。ぎりぎりだ。そして、空っぽの世界へ。― 50代の早川の今のロックを聴かせていただきました。常に今を歌っています。それにしても、あのちょっと恥ずかしい歌詞を平気で歌え、それがかっこよいのは、ジョンレノンと早川義夫ぐらいなもんだなあ。なんでだろう。不思議だなあ。この文も相当恥ずかしいよなあ。 (PUYO/なんや) ■10/31(月)Bridget St. John & Collen Japan Tour 2006 昔、新宿や下北沢のロック喫茶に通っていた頃、薄暗い店の中でカンタベリー・ミュージックなどのアクは強いがユーモアのある音楽をよく聴いていた。ブリジット・セント・ジョン(以下B.S.J.)を知ったのも丁度その頃。その頃レコードで聴いたB.S.J.の音楽はやっぱりアクが強くてユーモアがあり、そして壊れそうに繊細で優しかった。独特の低い声と重厚なクィーンズ・イングリッシュ。暖かく太く、それでいて鋭いギター。何とユニークな人だろうと思った。そして、彼女の部屋に招かれた様なその心地良い音楽に、随分美味しいお酒を飲ませてもらったものだった。あれから10余年。名古屋でB.S.J.のライブが見られるとは。ツアー初日の京都で喉を傷めてしまったらしい彼女の声は、か細くかすれ気味で歌いにくそうではあった(ライブ中、本人もしきりにその事を申し訳ながっていた)。しかし、それはまぎれもなくB.S.J.そのものであった。その歌はさらに暖かく優しくなり、その音楽には年月を重ねた分の母としての思いやりや愛情が加わっていた。そして本編ラストの「Ask Me No Questions」には、歌い手としての今のB.S.J.の全てが詰まっていた。彼女の歴史、思い出、これまでの全てがあって今の彼女がある。それは当たり前の事なのだが、歌う彼女の中にそれが昇華されてるのを感じられたのは何とも幸せな事なのであった。(山田真由美) |