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あほ犬日記

12月某日

 飲食店をやっていて、最近一番気になるのは、禁煙化とカード支払いである。得三もオープンハウスも、現在は演奏者の指定が無い限り、完全喫煙可で現金支払いのみとしている。まぁ、商売が成り立たなくなっちゃどうしようもないので、世間の動静を観ながら変えていかなければいけないのだろうが、テレビ等を観ていると、ほとんどの人たちが現金を持たなくなるかのような勢いでカード化気配が満載で、ほんまかいなと思う。
 近所の居酒屋「きも善」の前を通ると、扉にバァンと「カードは使えません」みたいな手書きの紙が貼ってあって、とても嬉しくなる。「きも善」で、鯖の塩焼きを食うには、まずノルウェイの海で漁師が鯖を捕まえる事が必要である。その鯖を誰かが買って日本まで運んでくるにも金がかかるがしょうがない。それをどこかが仕入れて売ってるのを「きも善」が買ってきて、火をおこして焼く。ここまでの費用と人件費が上乗せされて、今池でおいしい鯖の塩焼きとなるわけだ。これだけあれば、400円でうまい鯖塩が今池で食える。これがカード支払いとなると、いずれは手数料が店にかかってきて、店は例えば420円にせざるを得ない。鯖とは無関係の中間搾取を払わねば、うまい鯖塩が食えないことになる。扉に「カードは使えません」と書いてあると、あぁ、この店は中間搾取をとられなくてすむのだなと、嬉しくなるのである。
 逆にカードが使える店で現金で買い物をするときは、他の人のカード手数料のいくばくかを、関係の無い自分も払っているのだなと思う。いちいち言わないが、理不尽だと思う。何らかの理由でカードで支払う際の手数料は、本当は支払う側にかかってくるのが道理なんじゃないのか。違うかなぁ?
 僕自身は、ネットでの買い物以外は、まずカードは使わない。信念などというものがあるわけではなく、そういう習慣がないだけだが、全部が全部カードになっちゃうと、ものを買う実感みたいなものが無くなっていくようで、やっぱり嫌だな。

11月某日

 ラグビーW杯が、日本を席巻した。かつて新日鉄釜石が7連覇していた頃、ちょっと齧って観ていた僕も、久方ぶりに便乗して熱狂した。あれは面白いに決まっている。屈強この上なく鍛え上げられた生身の体が、あらぬスピードでぶつかりボールを奪い合い、束になって全力で前へ押し込み、すり抜けてはゴール目指して走りこむ。そのプレイのすべてを、ボールより後ろにいる人たちでやらなければいけないというのも、考えてみれば納得がいく。スキを狙ってヒョイと楽して点を取るのは、潔くもカッコ良くもないではないか。いやぁ、燃えました。まぁ、日本が強くなったってのが大きいんですけどね。
 思えば、僕たちの世代までの人間は、日の丸背負って「君が代」歌うみたなことにとても反感を持っていたように思う。「お国のため」という名の下に多くの人間が死んでいった戦争の記憶が大人の中には、まだ生々しく残っていたのだ。Jリーグが始まって、サッカーのW杯の時に、ある選手が、もっとみんな日の丸を背負って戦わなければダメだ、みたいなことを言ったので、僕は随分違和感を持った。しかし「日の丸は、世界で一番美しい国旗だよ」と言ったその人がラモス選手だったことで、僕はなにかとても安心したのを覚えている。彼の日の丸は、かつての戦争とは全く関係のない、僕たちの知らない概念だったのだ。そう言われてみれば、たしかに日の丸は素晴らしくかっこいい見事な国旗だとも思う。
 ラグビーW杯代表は、国籍関係なく選ばれるのだが、強化合宿の後に、リーチ・マイケルを先頭に宮崎県の「さざれ石」の前で君が代を歌ったという。確かに、スクラムは「イワオとなったさざれ石」のイメージが有るかもしれない。苔むしてはいないけどね。
 来年のオリンピック、日本代表は国籍を元に選ばれるのだと思うが、どんな顔ぶれになるのだろう。頑張れニッポン!の、ニッポンという概念は、かつてと全然違うことになっている気がして、それはそれでとても楽しみにしている。

10月某日

 各地で河川が決壊し甚大な、被害を及ぼした台風19号だが、拍子抜けするほど名古屋は無傷であった。台風が抜けた後も、関東から苦労してやってくる人たちや、ニュースの映像をみていると、申し訳なくなってくる。今回に限った話では無い。毎年のように日本の各地で災害が起こり、かなり深刻な被害を被っているにも関わらず、2000年の東海豪雨以来、いつも名古屋は平気なのだ。しかも今池は、吹上や古出来方面に水が流れていくため、東海豪雨の時でさえほぼ無事だったのであった。まわりには、今池最強説を唱える人もいるが、いつか溜まりたまって巨大な災害がまとめてやってくるのではないかと、この平穏を不安に思っている人も多い。ま、不安がってたってしょうが無いのだが、過去の災害で今池はどのような状態になったかというのを調べてみて、それを参考に被害に備えるというのはどうだろう。
 とはいえ、40年以上今池にいるが、災害で大きな被害を被ったと言う話は聞いたことが無い。今池は戦後に形成された街で歴史は浅いので、空襲などの話も聞かないし、70年代頃から、明日にでもやってくると言われていたマグニチュード8級の東海大地震はやって来ず、ノーマークの阪神と東北で猛威を振るった。海や河川も無く水はけもいい。なんらかの被害があるとすれば、暴風と言うことになるのか。やはり、今池を襲った最大の災害となると、60年前の伊勢湾台風ということになるようだ。昭和34年の今池は、すでにパチンコ屋が何軒かあり、映画館もある。飲食店も多く、集合市場の今池マートもすでに有った。
 広小路通りの得三近くの交差点北側にパン屋さんが有った。ここは、自家製のサンドイッチを作って売っていて、よく買いに行ったのだが、そのうち月遅れのエロ漫画雑誌を三冊まとめて安く売るようになり、それも買っていた。そこの親父さんは、伊勢湾台風の時、雨戸が飛んでいかないように、自分の体に縛り付けていたら、強風で雨戸ごと仲田交差点までふっ飛ばされていったという。雨戸を体に縛り付けるのはやめたほうがいいようだ。

9月某日

 八月にあった「⽊村くんと三宅くんのお盆な⼀週間︕楽しんでや!!!」は、怒濤のようだった。木村充輝、三宅伸治の両氏が、手を変え品を換え七日間ぶっ通しでライブをやるのである。日替わりでやってくるゲストは多彩で、それぞれ個性の強い人たちばかり。実に充実した楽しい一週間ではあるのだが、その代償として、ヘトヘトに疲れてしまう。みなさんお判りかと思うが、毎晩飲んでしまうから、というのがその理由。ゲスト達は、手ぐすね引いて楽しみにやってくるので、二人のゲストはそれに答えねばならぬのだ。結局、毎晩深夜までの宴会状態とあいなるのである。両氏はなかばに一日ずつ交代でお休みの日をもうけてあるのだが、結局様子を見にやって来て、飲む。見てるだけの僕でさえ、日に日にボロボロになってゆくのだから、毎日違う演奏のリハーサルをやって本番やってる二人は、相当しんどいはずである。木村さんなんて、僕より四つくらい年上のはずなのに、毎日本番前から飲んでいて大丈夫なのかなと思う。
 しかし、人は何で酒を飲むのだろう。振り返れば、僕も四十年以上ずぅ~っと飲んでいる。なにか必要に迫られて、相談しなければいけない時は、酒抜きで人と話したりもするが、特別何も無い時は、酒を飲まないと相手と話が続かないのだ。大抵バカみたいな話が多い。しかし、酔いにまかせてたわいの無い話をしているそんな時に、興味深いことに気付いたり、次につながるアイデアが浮かんだりして、僕にとっては必要な時間になっているようだ。ほとんど、それのおかげで、今成り立っているような気がする。
 とは言え、昨今は体力も衰え日々の酒量はまあまあ減った。ゲロなんて十年くらい吐いてないし、脳みそもヘロッてきて話したことを忘れてしまうことも多くなった。三宅伸治氏に「その話は、昨日聞いたよ。」なんて言われることもしばしばだが、もう少し飲んでいたい。あと十年くらい飲みながら機能していたいと思うのである。

8月某日

 僕が小学生の頃、父親が戦争の話をしたのに対し「そんな大昔の話・・云々」と言ったら、ちょっとびっくりした顔で「そうか、こいつらにとっては大昔の話なんだなぁ。」と感慨深げに言ったのを憶えている。父親は二十歳で終戦、僕が大昔と言ったのは、おおよそその二十年後くらいのことだったろう。二十年の年月を「大昔」と感じる子供と、「このあいだ」と感じる大人とがいるのだ。
 いい加減とうの立った大人である僕にとって、七十年前後は中学生くらいの「ちょっと昔」という感覚だ。その「ちょっと昔」に、アングラという流行語が有った。それは音楽や芝居、映画であり、ファッションであり、思想や生き方のようなものだった。あり方としては、HIP HOPという言葉に似ていると思う。
 アングラという感覚は、今でも僕の中のどこかに根付いていると思うのだが、その匂いを濃厚に放つ火田詮子さんという役者が五月に亡くなった。近年は、毎年一回得三にも出演してもらっていたし、お会いしてもいつも元気に話してもらっていたので、あまりの唐突なことにただただ唖然とした。得三以外でも何度か舞台を拝見したが、その立ち姿のかっこよさは図抜けていた。
 火田詮子さんの、活動五十年の記念本が作業中であることも知っていて、どうなるのかと思っていたのだが、編集を受け持った小島女史によると、かなりの作業をすでに終えていたようで、詮子さん本人による「あとがき」原稿もすでに上がってきていたとのこと。この号が出る頃には、そろそろ世の中に出回っているのではないかと思われる。
 何度か詮子さんの自宅へ電話をして、「もしもし」という圧倒的に太い存在感のある声におののいていたのは、携帯電話がごく当たり前になる少し前の「このあいだ」だった。アングラを「ちょっと昔」と感じる人も、「大昔」と感じる貴方も、是非詮子さんを通じてそのあり方を垣間見てみてください。

8月某日

 今月で、一年間通しで行ってきた、得三の二十周年企画が終了する。スケジュールページを見てもらうと、真ん中に一週間ぶっ通しの黒い帯でくくってあるところがある。旧オープンハウスの頃からお世話になっている、日本ブルース界が世界に誇る一大個性、元憂歌団の木村充揮さんと、高校二年生の時、修学旅行をサボって宮崎から名古屋までライトニン・ホプキンスを観に来た際、旧オープンハウスに来店したこともあるという、ブルースマニアの三宅伸治さんの二人が、一週間今池住民となって得三に滞在する一週間だ。それぞれのキャリアを駆使した、多彩かつ密度の濃い豪華ゲストを集結してお送りする、実にタフなお盆をお過ごしください!その中には、二十一年前のこけら落としにも、十周年の時にも来ていただいた、今池オープンハウス出身の近藤房之助も、もちろん顔を見せてくれます。
 昨年九月に始まった二十周年企画だったが、前半は新オープンハウスの計画・工事・開店が重なって、かなり慌ただしい日々を過ごした。あちこち手薄になってしまった反省も多々あるが、廻りに助けられてなんとか最終コーナーを抜け、最後の直線を走り抜けるのみだ。ゴールラインの三十一日には、名古屋の怪人、アングラの帝王、山本精一をして「誰かこの人に勝てるヤツはおらんのかっ。」と言わしめた、ガイさんの古希を祝う生誕祭が、鬼才・小埜凉子プロデュースで行われて一年間続いた二十周年を締める。
 締めた途端、翌日は開店記念日の九月一日、二十一周年企画となる。昨年、三上寛さんと一緒に得三に登場して度肝を抜かれた「ホルモン鉄道」を名古屋勢が向かい撃つというイベントを企画した。「ホルモン鉄道」は、元たまのランニングこと石川浩司さんと、富山の鬼才・大谷氏によるユニット。表も裏も、あちら側もこちら側も無い、謙虚にしてこの上なく強烈な世界を是非御堪能あれ!

6月某日

 僕は、二十分で昼飯を食いたいときのような、とにかく腹を満たしたいと思うとき以外は、ほとんどチェーン店を使わない。店主の思惑のようなものが見えなくて、なんだか味気ないからだ。店も音楽も、個人のクセが垣間見られるのが楽しいのです。そんな僕が馴染みの無い土地で呑み屋や飯屋に入るとき、頼りになるのは今までの経験値だ。店の佇まいや匂いで、ここがいいんじゃないかとあたりをつける。7割くらいは、それで当たる気がするのだが、外れたら外れたで、それなりに納得して次へ向かう。
 今池は、表通りこそあちらこちらで見かけるチェーン店の看板が目立つが、一本中へ入ると個人営業主の店がそこかしこに暖簾を連ねていて実に楽しい。さらに、今池は安くてうまいのが当たり前という、店側にとっては実に過酷な土地柄なのだ。この間も、ある居酒屋へ入って、三百八十円だかの手作りシュウマイというのを頼んだら、大きめの皿に十二個出てきて泡を食ってしまった。三人で入ったからよかったものの、一人で注文していたらシュウマイだけで腹がはち切れるという前代未聞の状態になるところだった。
 そして、この地の飲食店は、店主同士の風通しがよくて、颱風で暴風雨が吹き荒れる日に臨時休業したりすると、面と向かって「へたれ」呼ばれされるくらい仲がいいのだ。オープンハウスを作るときも、参考に他の店の厨房をのぞかせてくれと言っても、全く気軽に案内してくれるし、店が始まったら貴重な休みの日にみんなで顔を出してくれたり、ライバルと言うより仲間意識が強くて、みんなで今池を最強にしようぜ、という心意気を感じるのだ。
 しかし、そんな一人一人が、一国一城の主であるわけでその道の玄人ばかり、オタオタしているわけにはいかず、常に次に向かって攻め続けなければ認めてもらえない楽しくも厳しい関係でもある。というわけで、得三に続いてオープンハウスも7月から年中無休でやることにします。やるぞっ!

5月某日

 ライブハウスの飲食システムは、大きく分けてふた通りある。ロック系のところは入り口でワンドリンク代を払い、ドリンクチケットと引き換えるやり方。ジャズ系のところや、カフェライブなどは、普通の飲み屋のようにテーブルまでオーダーを取りに行って、それぞれの要望に応えるシステムが多い。得三は、その日の状況によってやり方を変えている。100人超えちゃうと、満足にテーブルも出せなかったり、個別のオーダーに対処するのが難しくなるため、ドリックチケット制。そうでない場合はお客さんに自由に選んでもらって、飲んで食べて楽しんでもらおうと思っている。自分が客ならそうしたいからだ。
 昨今は飲食店のメニューが、税抜き表記が大きく出ている場合が多い。そのほうがお客さんは安く感じるわけで、消費意欲が増すからだと思う。得三の場合だと、立って踊りながらライブを見てる人とかが一杯ずつ現金で払いたいと思ったり、いろんなケースがあるので、五十円単位の税込表示にしている。そうなると、消費税値上げの時に、とっても苦労するのねんのねん。ちょっとは上げなきゃやっていけないし、2パーセント上がっただけなのに五十円も上げやがってみたいなことを言われそうだし、これとこれは50円上げてこれは据え置きにしてなんてことをみんなで頭をかかえるわけです。ましてや、持ち帰りは税率が違うなんてねぇ・・・。
 ところで、ワンドリンク制のときのドリンクチケットは二十年以上前から五百円だったのだが、昨今は六百円が主流になっているようだ。その間に3%だった消費税は10%になろうとしているし、物価だって上がっている。いいよね?大丈夫だよね?なんのことはない、長々と書いてきたのは全部言い訳で、実はこれが言いたかったのだが、6月からワンドリンク制の時のドリンクチケットを六百円に値上げさせてください。そして、秋からのメニューも少し値上げさせてください。何卒、ご理解のほどよろしくお願いいたします。

4月某日

 オープンハウスを再開してから、昔聴いていたブルースやディープ・ソウルのレコ-ドをあらためて聞き直す機会が多くなったのだが、これが今更ながらに素晴らしいのだ。音響環境がいいこともあるし、長らく聴いていなかったレコードだったりすると、ここ何十年かのこちら側の経験で聞こえ方が違ってきていることもあるのだと思う。五~七十年代の黒人音楽のヴィヴィッドな音塊が、あらためてくっきりとした輪郭で迫ってくる。昨日はクラウン黒レーベルのB.B.キングでノックダウン、今日はウィリー・ハイタワーの海賊版にやられるといった具合で、二十代に戻ったような新鮮さだ。店長横山と悶絶の毎日なのである。
 それらの音楽は、全米の各地方にあったスタジオで録られている。スタジオには、その地方を代表する腕利きのミュージシャンがいて、それぞれが独自ののサウンドを形成していた。先ほどのB.B.キングは、ロスアンジェルスのモダーン・レコードのスタジオ、ウィリー・ハイタワーはマッスルショールズのフェイム・スタジオで、そこにいる専属ミュージシャンと録音されているといった具合だ。スタジオには色んな歌手達がやってきて、次から次へと音楽がつくられてゆく。コロンビアで伸び悩んでいたアレサ・フランクリンが、アトランティックの社長ジェリー・ウェクスラーの判断で南部フェイム・スタジオに送り込まれた途端、ソウルの女王の階段を駆け上がり出すといったことが起こるのだ。
 2004年に公開されて音楽ファンの間で大ヒットした映画「永遠のモータウン」でも語られたように、70年代に入るまでそれらのサウンドを形作っていたスタジオのミュージシャン達の名前は、レコードのどこにも表示されていなかった。みんなその核心的に体を揺さぶるサウンド作っている人たちの名前を知らぬまま音楽に踊っていたのだ。40年ブルースやソウルを聴いていると、クレジットの無いレコードジャケットを眺めながら、その録音がどのスタジオで行われたのかとか、ドラムが誰なのかとか、このギターはあいつじゃないかとか、音楽の生まれた現場に思いを馳せるのが楽しみを憶える。スタジオに入って、せーので一発録り。それらの音楽は、一瞬にして完璧に生まれたのだ!

4月某日

五月になると、平成が終わって新しい元号になる。三十年前、元号が平成になるときに僕は何をしていたかというと、前年の暮れに両足を十何カ所か骨折して入院中だったのだ。正月明けに、病院のベッドで新元号の発表を見た。五月の連休明けに退院、その年の九月に第一回の今池祭りが行われた。まだバブル時代は終わっていなかった。
 二年後の平成三年一月に、旧オープンハウスが閉店し、翌年は、いとうたかお氏の元、ほぼ一年間、旭高原・元気村での「いのちの祭り」という一大イベントに関わった。平成五年、「ニュー今池」という小さなスナックを開店して、平成十年には一念発起して得三を作ることになる。僕は四十歳になっていた。そのときは、そろそろ体力にも陰りを感じていたし、最後の大仕事になるだろうと思っていた。得三をなんとか二十年やって、六十歳になったらもういいだろうと漠然と思っていたのだが、今となっては根拠はなかった。そんな僕が、還暦を越えてまたオープンハウスを再開したりなんかして、平成を終えようとしている。人間とはしぶといものである。さすがに、次の二十年後には死んでしまっている自信があるのだが、これも漠然として根拠はない。人間百歳まで生きる時代になるなんてことを言う人もいるが、どちらかというと、それは勘弁願いたい。
 かつてはどうだか知らないが、このご時世、天皇陛下が変わることで時代が変わるとは思いがたい。しかし、思い起こせば平成が終わって、まだ入院中だったときに手塚治虫が亡くなり、数ヶ月して美空ひばりが亡くなった時は、本当に今まで生きてきた時代が終わってしまったのだなと色濃く感じたのを憶えている。今度も何か、感慨深く時代の終わりを感じるようなことが起こるのだろうか。
 これもたいした根拠のある話では無いのだが、最近、昭和を生きた僕達くらいまでの人間が死んじゃう頃に、やっと次の新しい価値観のようなモノが有効になってくるのではないかと思うことがある。もしそうなれば、次の元号は一大転機となる時代だ。欲深い話だが、僕も後二十年生きて、チョコッとその始まりを見てみたいなと思ったりもするのである。

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