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あほ犬日記

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 コロナが始まって、新聞やテレビの様々な取材が来る。ライブハウスについてであったり、飲食店であったり、商店街であったりして、受けるときもあれば、断ることもある。それぞれに対応していて、いつも思うのだが、取材に来る前に、すでに記事や番組の内容が決まっているのではないかと思われるのである。「困っているコメントをとってこい」とか、「力を合わせて頑張っている映像をとってこい」とか言われて、そこに誘導して、それ以外のモノはカットしてしまう。へたをすると、見出しやナレーションまで、あらかじめ決まってるんじゃないか。それって、取材と言えるのか?そんなことを、ある信用している新聞記者にぼやいたら、「そうなのだ、取材には発見が必要な筈なのだ。」と彼は言った。テレビや新聞で見かけるものが、ちゃんと取材せずに作ったありきたりなプロットに沿って都合のいい事実のかけらを貼り付けただけの報道だというのが、当事者になってみてとてもよくわかるのだ。
 偶然なのか、そういうものなのか判らないが、還暦がらみの周りのおっさん達で、今更のように近代史に興味を持っている人がとても多い。明治以降の日本人が世界の中でなにをどう考えて来たか、それを今とつなげて考えるのは、やたらと面白く感慨深いのだ。日中戦争から太平洋戦争に至る過程で、新聞は率先して「勝った、勝った」とやたら威勢のいい報道をした。その方が新聞が売れたのだそうである。それに浮かれて世論はイケイケに踊り出す。その世論に後押しされて、戦争拡大派の軍人と政治家が押し切っていってしまうという側面は有ったようだ。その報道の大きな情報源が、軍艦マーチ入りの景気のいい「大本営発表」だったのは周知の事実だが、山本五十六はそれが大嫌いだったという。「報道なんか静かに真相を伝えれば、それで充分なんだ。広報や報道が嘘を言うようになったら、戦争は必ず負ける。」という予言までしていたらしい。
 報道との付き合い方には気をつけないといけませんな。

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