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あほ犬日記

6/15(金)

「新open house」に従業員が欲しいのだが、ただでさえ飲食業は人件不足。まわりの店でも、軒並み困っているという話を聞く。なんでも、メイエキでは、箸にも棒にもかからぬガクセイバイトに、時給1300円払うという噂も耳にする。全部で6人ほど欲しいのだが、今決まっているのは2人。中心になる人がもう二人くらい決まらないと、困っちゃうな。TOKUZOも若い女の子募集してるが、なかなかこない。働いたら、絶対充実感あると思うんだが、きっと、そんなことは求めてないのだろうね。とにかく、TOKUZOもopen houseも大募集してますから、我と思わん方はTOKUZOまで、連絡ください。

6/13(水)

昼に、朝日新聞が今池の取材に東京から来て、色々話をするのと、今池まつりの助成金の申請で、名古屋市の職員と話すのと、ダブルブッキングで、狭い商店街事務所で二つの打ち合わせが同時に行わるという前代未聞のことになった。間は1メートルくらいしか離れていません。両方の話がごっちゃになって、何が何やらわかりませんわ。そうそう、今池まつりは今年30周年ですぞ!!
 ライブは、3回目となる梵人譚[坂田明(sax)ジム・オルーク(b)ジョバンニ・ディ・ドメニコ(pf)山本達久(ds)]それぞれの立場が、より対等になってきた感がある。有る意味の成熟。しかし、坂田さんは元気だなぁ。最後まで元気に飲んでいたぞ。4時くらいかなぁ。

6/12(火)

MASSA[佐藤正治(per.vo.g)細井豊(key.acc.etc)太田恵資(vln.vo)]久しぶりのMASSA。佐藤さんも、太田さんも、ああ見えて実は結構やんちゃ。ユタさんも、ああ見えてオマワリは大っ嫌いなんですよ。昔から音楽やってる人たちは、たいていフリョーです。

6/11(月)

高円寺百景とRyochestraの、めくるめく演奏をバックに、新店舗の図面に手を入れる。ここには、これが必要だ。ここは、こんだけスペースほしいな。従業員は、ここから出入りできないとまずいな。あ、いけねぇ、水回りはこっちにないといけないのか。あちこち、頭がこんがらがってくるのは、演奏のせいかいな。
昔、帳簿をつけながら、ASA-CHANG&巡礼の「花」を聴いていたら、全く計算がデタラメになってしまった事があるが、高円寺百景とRyochestraも、色々計算しながら図面を描く作業には向いてないですな。ねじれたような店になってしまいます。

6/10(日)

6/10(日)歩いて2分のところにある、ライブハウス「パラダイスカフェ」。今の体制になったのは割と最近だが、店自体はTOKUZOなんかよりずっと古い。30年以上やってんじゃないかな。そこの今の店長、井口君は、去年から「今池まつり」でも活躍してくれたのをきっかけに、付き合うようになった。付き合ってみると、かなりバカで面白い人だと判明。「おまんこ大将」という名前がついた。今池まつりのこともあって、今日は「オマタイ」とライブ終了後に飲むことにした。初めはまつりのことや、店のことを色々話していたが、当店林が途中から話の輪に入り、「オマタイ」はどんどんビールを飲みだして、なんのことやら判らなくなりましたとさ。めでたし、めでたし。
パラカフェは、なんと地下鉄から繋がっていて、雨に濡れずに行けるし、なんとグランドピアノが有るのですよねぇ。キャパは、満員で50くらい。飲食も頑張っているし、ちょっとうらやましい場所です。

6/7(木)

昨日、五島さんのライブで来たエレナが、居残りで名古屋にいるというので、久々に飲みに行く。デート言っても、延々と飲んでいるだけ。「ひよし亭」で野球を見ながら飲んでいたら、2点差を9回裏に追いついて、延長10回平田の内野安打でサヨナラ勝ちっ!!久しぶりに、ちょっとゆっくりした1日でした。

6/6(水)

昼に今池西南商店街の総会。みんな知っている場所ということもあり、「opese house」再開の話を、他から耳に入る前に言っておいた方がいいかなと思って、集まったメンバーには言った。「ピカイチ」のママに、「あら、懐かしいわねぇ~」と言われて、とても嬉しい気持ちになる。昔から、お世話になってるからなぁ・・・。
 ライブは五島良子[砂掛康浩(g)石垣篤友(b)加藤エレナ(key)星山哲也(dr)]。久しぶりの五島良子。聞けば今日が誕生日だとのこと。年一回くらい、ちゃんとバンド編成でやってほしいな。
 今池の青山クリーニングのおねぇちゃんが、実は五島さんの先輩らしく、毎回10人くらいで見に来てくれるのだが、今回は恩師まで引き連れて、飲みまくってくれた。もちろん、誕生祝いもね。

6/5(火)

一部改装と、メンテナンスの為、休み。メインはガス工事と、PA、照明周りのメンテナンスだ。普通のライブハウスは、メンテの日を月に一回くらいとっているのだが、自転車操業のため、とれないでいる。ガス工事に乗じて、メンテをやって、少しはすっきりしたのか。でも、一番メンテが必要なのは、僕の脳みそじゃ。
僕はその間を縫って、7/2にやるドラゴンズ・リンクスの打ち合わせ。KOIちゃんと、今回、ゲストの保元英明さんに繋いでくれた、ドラゴンズライターの竹内茂喜さんと打ち合わせる。保元さんは、ドラゴンズの名スカウト部長だった人で、中日スポーツにも連載を持っていたりして、名前は知っていたのだが、僕はホウゲンさんだと思っていたが、ホウモトさんと読むらしい。
 毎年正月にやっている「TOKUZO DRAGONSリンクス」の特別版だが、元有名選手で、馴染みのある人を呼ぶよりも、裏方さんにじっくり話を聞くといったスタンスが、僕たちらしいなと思う。スカウトって、アマチュア選手を見て回って、報告する仕事だと思うのだが、実際どういう風に1年間仕事をしているのか、実は知らないじゃないですか。いろんな話が聞けると思う。現在83歳!ドラゴンズの仕事は離れたのだが、今でもアマチュア野球の現場には、足繁く通っているのだそうだ。タノシミッ!

6/2(土)

ついに先月末に、「open house」再開が公になって、今月から本格的に準備に入る。昼に、予定地の給排水及び、吸排気がどうなっているかを見せてもらいにいくのだが、なにせ古いビルで、内装を剥がしてみないと確かなところはわからない。厨房の位置も大幅に変えるので、排水が心配なのだが、今の状態もつかめない。ライブもやろうと思っているので、遮音プラン上、排気のシステムも重要となる。はてさて、どうなりますことやら。横山以外に、メインで付き合ってくれているのは、TOKUZOを作るときにも多大な貢献をしてくれた、早川と伸で、二人ともopen houseからの友人たちだ。この二人を中心に、周りにいいる新旧友人たちが、みんなで集まり、今までのノウハウを結集して一軒の店を作るのだ。20年前、TOKUZOを作った時のことを思い出すなぁ。まさか、もう一回やるとは思ってもみなかったが、気持ちは、俄然乗って来ている。

5/28(月)

「47年目のopen house」~open houseからOTIS’/TOKUZOへ~★復活!澤村屋★。一体何のことだか分かんないと思うので、事の始まりから説明します。
 その昔、1971年に、オーナー萩原兼任によって、「おーぷんはうす」という店が誕生したのです。音楽好きの若者たちがたむろするジャズ喫茶とかロック喫茶といった店ができ始めた頃で、そんな中の初期の一軒だったのですが、当時高校生だった近藤房之助が卒業後にバイトで入った事もあって、「おーぷんはうす」は、急速に黒人ブルースに特化した店になっていくわけです。まだ黒人ブルースのレコードがほとんど日本に入ってきていなかった時代の話。76年房之助氏は、京都へ行って、BreakDownに参加し、入れ替わりに僕や横山の世代が店に行き出します。この頃はすでに、日本盤のブルースのレコードがそこそこ出始めていて、僕もブルースファンの入り口に入っていたのです。たぶん、70年代の終わりころに僕は「おーぷんはうす」のバイトになって、現[OTIS’」の横山等と一緒に働き出します。その後、82年に房之助氏が名古屋に戻ってきて、店を大改装して新生「open house」となり、何年かして澤村が店に入り、85年ころ房之助氏は東京へ移住、下北沢「STOMP」を始めます。86年にオーナー萩原氏が、新栄にジュークボックスのあるソウル・バー「OTIS’」を開店、同時に横山、澤村が「OTIS’」に移り、「open house」には、澤田・渡辺が入ります。その後、91年に地上げによるビルの解体で、「open house」は閉店。僕は「ニュー今池」をやった後、98年に「Tokuzo」をはじめて、そこから20年経ちましたとさ。というのが、大まかな流れです。「OTIS’」と「Tokuzo」は、色濃く「open house」の血を受け継ぐ二件の店なのであります。
 今回の事の始まりは、一年ほど前。元「openhouse」「OTIS’」の澤村が還暦になるので、自分の料理で飲む会をやりたいというので、それは是非やろうと約束をしていたのでした。両店で料理を始めた澤村が、もう何年も自分の料理を家族にしか食わせたことがなく、還暦を機会にやってみたいというのがよくわかったので、安易に約束はしたものの、それだけでお客さんは来ないよねということで、「openhouse」や「OTIS’」の昔の写真やビデオなんかを見ながら、同窓会的なイベントにしようかと考えていたのです。
 同時に、横山から「OTIS’」が建物自体の老朽化もあり、今のままではいけないのではないかと思っている、という話を聞いて、二人で新しい「OTIS’」を作って後進に残したいね、と話していたのです。それが昨年の夏頃で、それを踏まえて得三の8月のキャンプには、横山と、「OTIS’」で働いている亡くなった萩原オーナーの息子、清兼も一緒に行ったりして、それと同時に、どこかにいい場所はないかとアンテナを張っていたのでした。
 急速に事が進行したのは、2月の末でした。この上ない場所が空くという情報が入ってきて、横山と二人でバカのように盛り上がり、トントン拍子で話が具体的になり、裏で物件を押さえて話を進めるうちに、そりゃその店は「open house」だろうということになっていったのです。
 そうなってくると、この日の集まりは、「open house」再開のまたとない発表の場と相成り、この日を機会に話を大々的に広めようということになったのでありました。
 「open house」「OTIS’」両店の歴代従業員と、昔の写真や映像を見ながら、澤村の料理で飲む酒は際限なく杯を重ね、Tokuzo史上かつて無いほどの客単価を記録。両店の客で生き残っている連中は、やっぱりものが違うなと、感心しきりの至極の夜はふけて行ったのであります。

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