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あほ犬日記

3/17

 またまた名古屋近辺で活動する人達の本が出た。なんだか、最近出版関係が多いな。
 まずは、「名古屋の富士山すべり台」。名古屋在住の方なら公演にある富士山型のコンクリート遊具を見たことがあると思う。あれ、実は名古屋発祥なのだそうだ。その富士山すべり台を長年追いかけて写真に撮り研究している人が、まさかというか、やっぱりというか、いたのである。牛田吉幸さん。その研究の成果を編集の大竹俊之と共に、余すところなくまとめたのがこの本。名古屋近辺に現存するすべての図鑑から、その歴史、制作者の声、そこから派生するいろんなバリエーション遊具、撮影指南、公園遊具の在り方考察などなど・・・。まぁ、知っていてどうなのか、と言われればそれまでだが、ちゃんと人々が精魂込めて作ったモノはとても楽しく、愛おしい。今度どこかで見つけたら絶対滑ってみよう!
 もう一冊、「ここでのこと」は、愛知県にゆかりのある9人の歌人が、それぞれの場所を思いながら作歌したオムニバスの歌集。東山にあるON READINGという本屋さんが作った本だ。贔屓目になっちゃうが、場所に今池を選んでくれた野口あや子さんに、やっぱり気持ちが傾きますな。すでに何冊も歌集を出し、今は小説やエッセイ等も発表している若き才能で、得三やオープンハウスで、何度かお会いしたこともある。全部で14首あるが、どれも今池の匂いのようなモノを放っていて嬉しくなります。もちろん他の人達の作品も興味深いので、是非とも御一読を。とてもいい装丁の出版元が、ELVIS PRESSというのもビビッときますな。
 この二冊の本の出版記念イベントが4月に得三で行われます。5(月)に「富士山すべり台」8(木)には「ここでのこと」、著者達によるトークイベントで、さらに面白い世界に突入してください。詳しくは、スケジュール欄でお確かめください。
P.S.実は、野口さんと今池商店街のコラボレーション企画も浮上しており、4月には展開してるかも。こちらもお楽しみに!!

2/17

 2年前に57歳で亡くなられた、シネマテークの支配人・平野勇治さんが、新聞等へ出された遺稿をまとめた「小さな映画館から/平野勇治」という本ができた。シネマテークは1982年に創立されたのだが、その前身となる自主上映グループ「ナゴヤシネアスト」時代からかかわっていた平野さんが、映画と伴走してきた日々を思いながら一気に読んだ。
 映画には、監督以下、役者・スタッフ達が映画を作る「現場」と、それを上映する映画館という「現場」が有るのだな。この本は、そのもう一つの「現場感」に溢れている。映画を享受するのみでなく、映画と格闘している感じ。
 シネマテークは、今池に出来た全国ミニアターの先駆者であり、TOKUZOが出来てからは、すぐ隣のビルの映画館で、一緒にイベントもやったりもして、僕にとっては基本理念の似た仲間といった感覚がある。いつごろからか、サブカルという言葉が出来たのだったが、70年代に芽を吹き出し、80年代、価値観の多様化と共に経済の波もやってきて、ジェットコースターのように上がったり下がったり。あぁ、思ってみればライブハウスと一緒だな。家庭ビデオの普及、そしてデジタル化もあったよね。シネコンが瞬く間に一般化して、映画館の通常概念が変わっちゃったかと思ったら、デジタル上映は一大転機。
 なにかあるたび、平野さんは、映画って、映画館ってなんだろうと、「現場」に立って考えている。「現場」は郷愁に浸っている余裕などない。でもしかし、初めて映画に心揺さぶられた初期衝動を忘れることは、平野さんにとってもっとゆるされないことだったのではないか。
 10年ほど前、東北震災の後だった。平野さんが「震災後の感覚が無い映画は、駄目だよね」というようなことを僕に言った。僕自身の震災後の感覚ってなんなのだろうと思い、言葉が出てこなかったのを憶えている。今回のコロナ状況下で、平野さんだったらどう考え、何をするだろうか。この本を持って、風呂場でもう一度パラパラめくりながら、なにかヒントを見つけよう。

1/20

 先月に続いて校了前になって、愛知県にも緊急事態宣言が出た。7時オーダーストップの8時閉店となると、どうにもこうにも平日のライブは無理である。東京だとミュージシャンが全国区だということもあり、配信ライブというやり方も一つあるのだが、名古屋の地元ミュージシャン達には有効とは思えない。得三は、平日は店を閉め、週末のみ時間を早めてライブをやることにした。またしても、2~3日で期間中の全出演者の連絡を取り、了承を得てスケジュールを組み直す。オープンハウスは、前回の時と同様、昼から8時までの営業とする。東京で緊急事態宣言が出たときから、こんなこともありそうだとシミュレーションしていたので、前回ほどはアタフタはしなかったが、いちいちやることがイレギュラーなので頭がこんがらがるぜ。
 つい先日、東京では大手飲食チェーンには、補助金が出て無かったことを知り、愕然とした。たかが2店舗で、これだけヒィヒィ言っているのに、10軒も20軒も直営店を持つチェーン店は、全くたまったものでは無いと思う。当然雇用を切らざるおえないではないか。失業者量産政策だ。先日、個人で飲食店をやっている知り合いが、補助金で儲かっちゃうことになりそうで心苦しいんだよね、と言っていた。堂々と貰ってしまえと思う。そして、余分な金を、しかるべきところでちゃんと使うのだ。良心にかられて補助金を貰わなかったら、その金をどんなことに使われるか判ったものじゃ無い。自分たちで、ちゃんとお金を回すのが一番確かだ。
 丸一年コロナに振り回されているのだが、やはりワクチンが、一つの光明となるのであろうか。名古屋では、5月くらいから一般に摂取されると言っているが、どうだろう。そして、そのワクチンとやらはホントに大丈夫なんだろうか?なにかと疑心暗鬼になってしまうのだが、そんな折、やたらめったら明るい情報をとある筋から得た。なんと!どこやらの研究所で通常の二倍の効き目があるワクチンが開発されたというのだ。大ニュースである!その人類の救世主となる薬の名は、「ワクワク・チンチン」と言うのだそうである。

12/18

 1月号の校了ギリギリになって、愛知県の時短要請が出た。いろんな事を考えた結果、21時閉店で、ライブは時間変更などをして決行することにした。ライブ終了後の、時にはお客さんも交えて打ち上げとなる時間も、とても大事にしているのだが、それは難しいことになる。慌てて期間中の全出演バンドと連絡を取り、状況説明と店の方針を提示、個別にどのように対処するかを相談したのだが、ライブ開催に消極的な出演者は、誰一人いなかった。東京から来る人達など、GO TOとやらが外れて経費負担が増えたにもかかわらずである。もう、こちら側は覚悟を決めているのである。それに比べて行政側は、覚悟無くその場その場で右往左往するばかりのように見えますな。怒りを越えてあきれかえる。ブヒッと屁が出ます。報道というやつも同様。一番重要な事柄の周りをブ~ンと蠅が飛び回っているといった印象で、自己保身と忖度が鼻につく。かと言って、ミソクソ一緒のネット情報に入れ込む気もさらさら無い。
 大げさに言えば、経済を基盤にした民主主義の成り立たせ方の歪みが、僕のような馬鹿町人にも白日の下に晒されたみたいな感じなのだが、一方で、そんな偉そうなことを言っている自分が、否応なくその中にどっぷりと組み込まれているのもよくわかっちゃったのだった。トホホではある。身近な、信頼できる仲間。身内であったり、音楽関係であったり、近所の商店主であったり。そんな人達と一緒に何かをやってく事で、自分を健全に保たなきゃね。
 高校生の頃から ブルースという音楽を聴いている。振り返れば45年ほどになる。もちろん他の音楽にも興味はあるし、好きになってはまり込んでしまうこともあるが、なにか自分の節目を感じたときなどに改めてブルースを聴くと、自分を取り戻したような、確認したような気分になる。僕にとってブルースは、常に新しい指針を与えてくれる。いつ、どんなときでも、ブルースは諦めないからだ。なんだかんだ言って、決して諦めないのがブルースの強さだ。
 今日、十二月十八日から自粛期間が始まる。春にやったようにオープンハウスは、昼から21時までのぶっ通し営業となる。さぁ、靴ひも結んで、ブルースと一緒に街に出るとしよう!!

11/14

 カラオケで歌うというのは、年に一回か二回のことである。そのうち一回は毎年夏に開催される得三のカラオケ大会。僕の出番は朝5時前の最後の一曲なのだが、今年はコロナで開催が出来なかった。ここ5年くらいはクールファイブの「出船」という曲を歌っていた。映画のラストシーンを観るような、胸が詰まりそうになる曲で、船が暗い海の中を異国へ出て行く。岸には永遠の別れを惜しむ女が手を振るといった、惜別の情景を描写していて、そんな羽目になった理由や、どこへ何をしに出て行くのかは、全く説明されない。現代の日本でそのような状況があるのかというのが判らなかったのだが、この曲が出たのが70年代の半ばで、そのときはまだ在日朝鮮人一世が、まだたくさんいたことに思い至り、自分が国を出た時の事を思い浮かべる人もいたのではないかと考えたりしていた。
 ふとした偶然で、沢木耕太郎が1979年、引退直前の藤圭子にロングインタビューをした本があることを知った。あ・・宇多田ヒカルのお母さんね。その原稿はいろんな理由で、世に出されず、30年の時を経て、彼女が亡くなってしまった後、平成25年になって出版された。藤圭子二十八歳、沢木三十一歳による会話のみで構成された本には、素直で純粋で、どこか不思議に虚無的な藤圭子の飾らない姿があふれ出ていて、六十三歳の僕は、抱きしめたくなっちゃうのであった。
 藤圭子が十代の時、前川清と結婚していたのは知っていた。ほんの一瞬で離婚しているのだが、二人の交友は引退するまでずっと続いていたようなのだ。本の最後の方で、引退直前になって、前川がヴォーカルを務めるクールファイブのコンサートに行った事を喋っている。「メドレーの最後の方で〈出船〉ってゆうのを歌ったんだ。それを聞いていたら、胸が熱くなって涙がこぼれそうになって、ほんと困っちゃったよ。あんなうまい人はいないよ。絶対日本一だよ。」
 得三では年末に、不完全ながら忘年会をやります。今年は出し物はやらないかわり、地味にカラオケでもやっちゃおうかなと思ってます。今年も〈出船〉を歌うことが出来そうだな。頑張って歌っちゃおう!

10/17

 かつて、戦争直前の空気の中で、笑いのセンスが急落し古参漫才師が嘆いていた事に関して、徳川夢声が「つまり、客は不安で浮かれているのだ」と述べたという。今思うとこのコロナ騒ぎ、なんだか4月5月は、みんな「不安に浮かれていた」んじゃないかと思ってしまう。今回のことは、必ず歴史に残る一大事件だと思うが、はたしてそれが何だったのか、どういう騒ぎだったのかということは、何十年か経って暴かれるのではないか。
 ライブ再開した6月13日から、地元のミュージシャン達を中心に、ライブをやってきた。着席してテーブルがあり、ある程度距離を保って聴ける形が定着している得三のようなライブハウスが、まずライブを続けていかないと、その次が始まらないと思ったのだ。限定人数でお客さんが少なくても、なんとかやってくれるのは、地元の交通費・宿泊費のかからない人達だった。お客さんも、近隣の人が中心だった気がする。ミュージシャン達は、こちらが誘うとほとんどの人が「やろう!やろう!」と快く引き受けてくれて、連日店としての風景が成り立っていくのは、本当にうれしく、お客さんも含め地元の人達と、今までより一層つながりが出来たような充実感がある。こういうことが、コロナが明けた次に、なにがしかの形で繋がっていくのだと実感している。転んだ先で百円拾ったようなものだが、その百円は千円に化ける。
 東京は名古屋と比べてまだまだ状況が厳しそうなのだが、ライブハウスで動いているミュージシャン達は、9月くらいから少しずつ動き出している気がする。この間、配信ライブという形態が浮上して、演る方も観る方もそれなりに、精神を保つ助けにしてきた気がするが、やはり、実際動いて、お客さんの前で演奏をしたり、生演奏をその場で聴いたりすることの価値と意味を、今更ながらに感じ取っている人達は多い。
 冬場になって再度感染が増える可能性も大いにあり、予断を許さないが、みんな少なくとも「不安に浮かれる」事に対する免疫はすでに持っていると思う。

9/26

 the 原爆オナニーズのドキュメンタリー映画が完成した。大石規湖さんという監督が、一昨年の今池祭りから、去年の祭りまで一年間追い続けて撮り、今年の今池祭りに向けて公開しようとしていた矢先、コロナ自粛で祭りも映画公開もままならぬ状況になってしまったのだが、満を持して10月30日から、地元今池の名古屋シネマテークにて公開される。
 僕にとって原爆(バンドのことね!)は、旧オープンハウスから40年近く付き合いがあるのだが、他のロックバンドとは一線を画すスィング感を持った失踪するビートと、ヒリヒリとした痛みを伴う緊張感が、唯一無比!大ファンなのだ。
 一足早く、先行上映で観せていただいたのだが、今回、大石監督が描き出すのは、その存在感を40年にわたり、いかにして持続させ得たのかという、バンドの「在り方」の秘密である。といっても、原爆は「よしっ、これこれに向かって頑張ろう!オーッ!」というようなバンドでは無い。言葉ではとうてい説明しようのない関係性が捻れて成り立っているのだ。それを監督は、メンバー達がボツボツと語ってゆくそれぞれの有り様を丁寧に積み重ねて編集し、演奏や楽屋の映像で実証、周りにいる人の言葉で少し補足しながら見せていく。映画を見ながら、今まで見てきたことや、話したことを思いながら、ギャハハと笑ったり、頷いたり、とても面白かった。いいドキュメンタリーだと思い、嬉しくなった。
 僕は、原爆の最初期は知らないのだが、その後割と彼らの近くにいた気がするし、今池祭りとの関わりも含めて体感しているのだが、そうじゃないファン達や、原爆のライブを見たことの無い人達は、この映画をどう感じるんだろうな。それはこれからの楽しみです。是非、観に行ってみてくださいっ!!
 しかし、バンドを40年もやっていれば、当然のごとくなかなかのオッサンである。同年代の自分としては、どう最終コーナーを曲がりきってラストの直線を走るかだが、原爆は、どう走るんだろう。まだまだ付き合うのが楽しみにもなったのだ。

8/29

 9月と言えば、我々にとっては、なんと言っても「今池まつり」である。平成元年に始まり、今年は32目を迎えるはずだった、大都市名古屋のど真ん中で毎年行われる、この「爆音村祭り」が、今年は中止となった。
 イベント業者や、代理店を一切使わず、商店街のメンバーのみで、およそ半年をかけて計画・運営しているこの祭りは、10箇所以上ある会場の出演者のほとんどが、今池へ足を運んでくださるお客さん達であり、それは大小あらゆるステージが同等の価値を持って、まさに村祭りと言うべき、年に一度の祝祭となる。それは、待ちに待った村人達の熱気とともに、共同体独自の自治感覚さえ生み出しているようにも思う。
 どう考えても今年の開催は無理だとなったすぐ後から、やっぱりあちこちから、小規模でもなんでも、やれることは無いのだろうかとの声が上がる。気持ちが収まらないのである。
 まず、昔の今池の町並みを捉えた、「今池回顧写真展」は出来るだろう。来年の告知も兼ねて、「今池祭り、来年会おうっ!」のポスターも張り巡らそう。得三では、一日目に、今までの「今池まつり」を振り返って、爆笑しながら原点を継承できるようなトークショー。二日目は、あまり顔を合わせることが出来ない、各会場のスタッフ達の交流会で、今池名物バンドのライブをやっちゃおう。いずれも、配信を予定している。
 そして、メイン行事として、有志各店舗が、期間中それぞれの店でなにか出来ることをやろうとなった。小さく、数多く、分散すればいいのである。大きな目印は無くとも、それが、全体のムードを醸し出し、それを感じられる人には、なにがしかの祝祭感をもたらすかも。これはこれで、今池でしか出来ない事なのかもしれない。
 てなわけで、今池はこの期に及んで、まだワクワクしているのである。みなさんも、ハードコアTシャツを着て、GO TO IMAIKE!!

7/29

 3月後半から4月にかけて、映画を観ても本を読んでもさっぱり頭に入ってこず、しばらく本屋にも行っていなかったのであるが、少し落ち着いたのでしばらくぶりに正文館に立ち寄ったら「ブルース百歌一望/日暮泰文」というのが出ていてこりゃいかんと買ってきた。
 日暮泰文さんはPヴァインレコードの創業者で、黒人音楽研究家。旧オープンハウス時代は、氏が創刊した「ザ・ブルース」という雑誌を片手に、日がなブルースのレコードを聴き、氏が招聘する本場ブルースマン来日講演「ザ・ブルース・ショ-!」を、毎年拳を握って心待ちにしていた。日暮さんは、日本にブルースと言う音楽を根付かせた大恩人なのだ。
 Pヴァインを勇退し、しばらくしてから出した「RLーロバート・ジョンスンを読む:アメリカ南部が生んだブルース超人」という本は、謎に包まれたR・ジョンスンと言う伝説の陰影を、丁寧に一枚一枚剥がしていって、生の姿を垣間見ようとする力作であったが、「ブルース百歌一望」も、これまた渾身の一冊。1920年、初めてブルースが録音されてから100年間、レコード盤に刻まれた101曲を題材に、アメリカ社会の中の黒人史、時代と地域と伝達の関係性、そして101個それぞれ個人の人生を自在に絡めながら、手を変え形を変えながらも延々と連続するその音楽と文化の根底をあぶり出してみせる。実に魅力的で奥深く、あぁ聴いてみたい!今一度聴き直したい!と思うこと必至。誰もが聴いたことのある超有名音源から、名前すら聞いたことの無い人の曲まで有るのだが、持っていない音源を一曲ずつ買い集めてみようかとも思う。その情報量のでかさと深さにおののきながら、もったいなくて一曲一曲丹念にジワジワ読んでいくと、いつの間にやらずぶりずぶりとブルースの沼奥に引きずりこまれていってしまうかのようだ。みなさんも、是非とも堪能して、オープンハウスで一緒に音源を聴きながら、あれこれと思いを馳せようではないか!

6/29

 得三が6月13日にライブを再開して半月あまりが経った。26日からは、朝5時までの深夜営業も再開。28日にはオープンハウスも週末ライブを開始して、コロナ前にやっていた状態に、一応形だけは戻してみたことになる。まだまだ、全くの手探り状態ではあるものの、6月中にここまで出来るとは1ヶ月前には思ってもいなかった。もちろん、スタンディング主体のライブハウス等は、その一歩手前の状態だと思うし、東京にいたってはまだまだ言わずもがなであろう。今回のコロナ騒ぎ、「起」が終わって「承」が始まり「転」が無いのを祈りつつ「結」を待つ、といったところか。そして、次にどうなってゆくのかは、はてさて、どうなりますことやらといった状態で、コロナウィルスをあたふたさせる起死回生の革新的な一手を、瀬戸まで行って藤井聡太七段にでも教えを請おうかと思っております。
 今月、ライブハウス再開に当たって、愛知県からのガイドラインというものが出されたが、コロナウィルスに関しては、行政はおろか学者ですらよくわからないのであるから、要請をするといっても、すべてが適切で効果的だというわけがない。それは、しょうがない。もちろん、自分の店と照らし合わせて、出来る範囲のことはやるのであるが、すべてを徹底してしまっては店は成り立たないこと必至であるし、幼稚園児じゃあるまいし、あれしちゃいかん、これしちゃいかんと、いちいちお客様に言うのもどうかと思われる。結局は、店側、出演者、お客様、一人一人の自覚と判断で、その場その場、感染を押さえていくしか無いのだよねぇ。そこに頼るしか、やりようが無いだろうと思うのだ。スーパーマーケットでだって地下鉄だってきっと一緒のはずだ。僕は、今こんな時でもあえてライブハウスに足を運んでくれるお客さんたちというのは、みんなちゃんとそういった意識を持った人達だと信じている。そして、そんなお客さんたちが久々に生で音楽と対峙する喜びを確認し、受け止めてくれている様子を感じて、とてもうれしく思い、感謝しております。

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