ホーム>元スタッフからのメッセージ

元スタッフからのメッセージ

結婚されて東京の某イベント会社に務めている横山早苗さん

私にとってTOKUZOとは、新しい仲間を作った、新しい居場所のようなところです。

東京から名古屋へ転勤になったときのこと。

土地勘もなく、知り合いもいない私がひょんなきっかけでTOKUZOでアルバイトを始めることになったのです。

横山早苗さん

そうして突然の勤務先の事業撤退で帰京するまで、『昼はサラリーマン』『深夜週2回はTOKUZOのアルバイト』という、私の名古屋での二重生活は1年余り続いたのでした。

その後はTOKUZOで出会った方々のおかげ様もあり、無事地元で転職することができ、毎日元気に生活しています。TOKUZOでのアルバイトを通して、お酒は好きだけと音楽とはほぼ無縁の私が、ミュージシャンや地元の方々などたくさんの人たちと出逢いました。

そして今まで知らなかったものや場所でも興味を持って見てみようという気持ちをあらためて思い起こさせてもらいました。あれから十数年、今はたまにしか会えないTOKUZO時代に出逢った友人知人ともつながりを持てています。小さな世界で周りを固めていた私にとってのすごい進化。TOKUZOで働いていたからこその進化、TOKUZOで働いていたから、もうひとつの居心地の良い場所を見つけてしまったのです。

これからもそっけなく、でもあったかく迎えてもらいたい、私のとってTOKUZOとは、そんな第2のホームグラウンドなのです。
 

陶芸家で現在は、子供に陶芸を教える児童保育所で働いている関根朋実さん

個展もたまにやってます。

得三を卒業して2年生のともみです。未だ得三に出かけると、お尻かお腹の奥のほうがムズムズ、そわっそわっ。してしまいます。

お客さんとしての得三にはまだまだなれません。。今の生活が夢なのか。得三にいたのが夢なのか。

関根朋実さん

得三で知り合えた大切な人や毎日がいっぱいあり、失敗もありすぎて。得三のコトと言われると、なにを書いていいのかな。。と。

ふと、遅番の思い出をひとつ。得三で働けることになった7年前、明かりが少ない町で育ったわたしは、ひとりで歩く夜は恐い。と思っていました。

しかし得三は朝5時までの呑み屋です。夜中になればなるほど、楽しいお酒や、喧嘩が起きることも。

夜中に呑む人の多さに驚きながらも、人の姿や気持ちがあふれだす夜中の得三の時間が働いていて大好きでした。しかし如何せん、田舎者のわたし。いくら明かりの多い今池でも、“お客さん、帰りは大丈夫なのですか?”と思うこともしばしば。

しかし、おいしい時間とお酒の味はわかります☆気にしてみてもお店をでた後のお客さんの姿は わかりません。ただただ無事に着けることを思いながら、迎える閉店5時が沢山ありました。そして閉店後の自転車を走らす帰宅道、人が倒れてる!今池っ て!?と驚き、近づくと着物がはだけながら大の字で寝ていたNさんを発見。わたし、お酒をだしました。

話もして、陽気に階段下りる姿も見送りました。その後、得三から目と鼻の先での発見。。顔を覗き、一先ず安心。笑みさえ感じる堂々たる寝顔。熟睡中。その姿があまりに気持ちよさそうで。いいなぁ。。。と朝6時迎えたことを覚えています。

その後も歩道で自転車か植木にからまり寝る友人K子とMさんや、バス停のベンチで仰向け姿の頭の上に財布を整え寝ていた几帳面Nさんに出会ったことも。皆さ ん得三帰りのお客さまです。そして夜中の得三のお酒は別格と思う今日この頃。私も道に寝てるのかなあ。。笑いながら後日談できるお客さんと得三がやっぱ り、大好きです。

現在バンド活動の他、ベリーダンスでも活躍している平出まさみさん

あうん、なのである。言葉に言い表さなくても、気配や気持ちを汲取り、察する。

日本人の理想とする関係性、コミュニケーションの姿、「あうん」。

今のご時世では、メールは当然、Facebookやtwitterなど「ことば」によってコミュニケーションがとれるが、その真逆にある「あうん」。私が思うに、得三は「あうん」だ。

平出まさみ

私 は得三で働いて、それを感じそれを学んだ。

最近行った居酒屋さんでフレンドリーに話しかけてくる店員さんがいた。「追加の注文はいいですか?」「おかわりはよかったですか?」と度々声をかけてく る。

「あ、まだ大丈夫です」と度々答える。一瞬、空気がシンとする。…ううん、それは違うのだ。気が利いているようで、それは空気が読めていないのだ。

「あうん」の世界は簡単には成立しなく、なかなか難しい。 だけど、得三には「あうん」がある。

 例えば、ライブの上演中お客さんが席を立って「ビール!」と注文するまでもなく、気配を察し注文を聞く。常連のお客さんが来たときは、注文を聞くや否やドリンクがサっと出せる。

忙 しくてドリンクやキッチンが回らないときは、言われなくてもスっとヘルプに入れる。誰かに言われてやるのではなく、自然と覚えた。得三のスタッフはみんな そうだったし、私もそうなりたいと思った。 人と人の繋がりや、心地良さを感じる場所だった。 得三の「あうん」は随所に見られる。

出演者との信頼関係があるからこそ生まれる「あうん」。照明のミラーボールを回すタイミングも「あうん」だろうし、PAのディレイをかける具合だって「あうん」なのだ。

数え始めたらきりがない。きっと梅スパの梅とお豆腐の割合だって計算された「あうん」だろうし、ライブ終了後のマルタイのラーメンだって、あの素敵なスタッ フちかちゃんの笑顔だって、きっときっと…。みなさんも 「あー、あれがあうんね」「そう、あれがあうんよ」と「あうん」を感じてみてほしい。

今池の中古レコード屋、ピーカンファッジから、Tokuzoに来た新良美恵さん

音楽アート好きの明るく元気な女性。今もTokuzoにちょくちょく遊びに来てくれます。

得三で働いていたのはもう10年前のこ。うわっ!

得三に歴史あり。私に歴史ありだ。

階段

そう言えばなんではいったんだっけ?? う~ん、音楽がリアルに聞けちゃう。毎日ライブ三昧!スタッフが楽しそう。まかないがつく。。。。

う~ん、やたらと目につくスタッフ募集の張り紙。そうだ!その頃、頭角をあらわしつつあった.マルチ・スタッフH・I(女)に心奪われたんだ。なぜ!深夜までこのテンションなのか?服からもキャラ満載にでてて、他にはない話しやすさはなんだ?

ミュージシャンのボルテージを上げる発言、行動力。みていて面白かった。 だから!どうしたらあんな風に動けるのかなって気になったからだ。ライブっていう祭りを毎日味わうための行動力。今池まつりの時だってそう! 彼女がオーガナイズした講談士を呼ぶ時もそう。一生懸命な姿と、笑ってしまう妄想・暴走力!

 一緒に働いてみてわかったことがたくさんあった。ギリギリまでやるんだ。どんなライブかで決めてゆくイスのセッティングやその他もろもろもろ。。。。

その経験は充分に役立ってる。例えば.呼びたいミュージシャンがいたとして地元でライブしてほしいとお願いするとき、元.得三スタッフだと話しがはやいはやい。信頼度がとても高く 快諾してもらえライブが実現したりすると.あらためて得三って凄いなっておもう。

只今、花屋で修行中の私。花もそれぞれの個性をいかして活けてゆくと輝きがますように。差し上げる方の気持ちを添えて受け取る方の笑顔を想像して作る。その一期一会の精神を学んだ場所が 朝までやってる呑み屋!ライブハウス得三ですね。
 

八ヶ岳に工房を持ち、陶芸家として活躍している斎藤由妃子 さん

10年程前に半年だけいたにも関わらず、強烈な存在感とインパクトを与えてくれた方。

名古屋に戻ってきた時には、たまに遊びに来てくれます。

知る人ぞ知る某有名美人陶芸家。

楽屋

Tokuzoとはどんな所でしたか?と聞かれた。

実は私、Tokuzoスタッフとして働いたのはたったの半年だけ。たったの半年なのに自分の中では3?4年居座った様な錯覚をする位、毎日が濃くて刺激的な毎日。

髪が赤いのでお客様にはパンク系の音楽をやっていると思われたりしたけど音楽畑とは全く無縁で音楽も詳しくない。完全に深夜番で、23:00~翌朝5:00ってシフトで働いていたのでライブが終わった後に入店して完全飲み屋モードでのお仕事。

 この時間帯が何とも濃密な人間ウォッチングが出来て毎日毎日が非日常的なパラレルワールド、ナイスな大人時間の始まり。ライブ終了後のミュージシャンがそのまま飲んでいたりお店の営業が終わってから飲みに来る飲食店のオーナーやもっと深夜のお店終わりのママが飲みに来たり、普通のカップルや奇妙なカップルや23:00~5:00はとろりと濃い、居心地の良い超刺激的な時間。

私がもし小説家や映画監督ならTokuzoを舞台に良い単館映画作品を作ってる。たまには深夜番のスタッフでカクテルの研究したり新メニューの味見をしたり退屈な時間は1分1秒たりとなく出来ればず~っと働きたかったお店。

今、私は八ヶ岳の山の中で暮らしてるけど、山奥には時々変わった厄介な人も居て意外と人間関係が大変だったりするけど、Tokuzoでの濃厚な経験と培った接客技術で私は只今大変大人な対応のもと、お山暮らしを楽しんでます。

年に数回、無性に深夜の飲み屋に行きたくなるストレスが溜まる以外は・・・。

毎日更新!1枚の写真とひと言日記「ポラ日和」
 

オープンして1ケ月くらいの頃、突然飛び込みでバイドの応募をしてきた初期スタッフ軍団子さん

海外に長期で旅行にもよく行っている活発な女性。

名古屋の某FM局にも在籍しておりましたね。写真はモロッコの砂漠です。そして彼女は只今アメリカ在住です。★

「募集もしてないのに、ザバーン(海に飛び込むポーズ)と、突然やってきた女」(森田社長談)。

砂漠

気持ち悪い。しかし断るに断れんし、まあ…うら若い女子やしのう…(←想像)つって困惑ぎみに採用されたのが、今から10年以上前。TOKUZOオープンの1ヶ月後とか。

当時20代そこそこの私は、毎夜、繰り広げられるドスドスの人間模様に人生の縮図を見、人間のいやらしさを見、音楽が人間で、人間が音楽であることを知ったのだった。

  • 1人の女をめぐり喧嘩する男2人。椅子が空を舞う。怒声。淡々と飲み続ける森田社長。
  • 勝手にステージに上がり、誰もいない客席に語りかける男。酔拳ならぬ酔ポエトリーリーディング。熱い。見向きもしない森田社長。
  • おまえは○○か(いつだって下ネタ)。はい。意に介さない私。にやける森田社長。

 ダニーハサウェイ。ビヤッチ。冷蔵庫盗んだ話。エロ。グロ。ゲロ。掃除。仲間の死。大丸ラーメン。グラスウール(注1)。今池祭り。PA臼井さんの謎。ローリンヒル(注2)。うんこの話(注3)。朝5時の光。人間のケツの穴の奥深さ、美しさ。
※注1:屋根裏でグラスウールを詰める作業中、私が落とし穴にはまった件。階下のキッチン天井から私の足が2本、出た。
※注2:当時よくかかってた。なんか衝撃的だった。
※注3:いつもの話。


と にかくそこには、キタナイものに蓋をし表面だけをキレイに取り繕うことを批判して、変人も奇人も変態も酔っ払いもリーマンもアウトローも同等に受け入れる 包容力と理解があって、スタッフとして働いた約1年、うら若い女子が受けた影響は多大なものだった。TOKUZOとは私にとって、音楽含め、モノゴトの本 質を見る、ってことを教えてくれた場所であったように思う。(軍団子)

名古屋ブルーノートなどでPAオペレートを担当、Tokuzo元PAスタッフ岡直人さん

皆さんお久しぶりです。以前、音響をしていた、岡です。

僕が勤めていたのは、もう5,6年ほど前の事です。まだ20歳前後のおこちゃまでした。

出勤初日が、山田晃士さんと佐藤芳明さんのデュオ、ガレージシャンソンショーの活動休止直前のライブ。

岡 直人

タンプーラマシンとか使って、グイグイと力のある、あ る意味では恐怖感まで感じた強烈なヴォーカルであの衣装と髪型…というなんとも当時の僕にとっては奇抜過ぎる一日から得三での日々は始まりました。

PA/Guitarist 臼井さんのインプロ系、オーナー森田さんのバレーボールズ。インプロ、フリージャズはもちろん、ブルースやR&Bのライブを見られるところは自分 の活動範囲の中では存在しなかったし、まず一カ所で両方が見られるところは、ちょっと簡単には見つからない。滅茶苦茶になるまでお酒を飲む事も覚えまし た。

僕はPAとして働かせて頂いていました。まず普通に働いていたらPAできる訳がない楽器も沢山PAしました。民族楽器に始まって、オンド・マルトノやハー プ など、訳の分からない手作り楽器まで…(笑)。普通の人なら、どこへマイキングしたらいいですか?というのが結構なくなりました。

得三にはオリジナルの音があると思います。得三の店内を見渡すとお分かりの通り、木で出来ている箇所がすごく多いです。これはどういった事が起きるかと言 い ますと、音が吸われやすく、非常に響き難いのです。響き難いからといって、悪いという訳ではないのです。凄く暖かみのある音がします。

シンバルがワシャワシャとうるさくなりにくいので、落ち着いてご飯が食べられるのです。これが得三の音の重要なひとつの要素です。あ!800字だった!また次の機会に。

木下唯さん、育児の間に、ときどきTokuzoにもやってきてくれます。

得三との出会いは10代の後半だったから、なんともう10年以上になる。

友人にほんの少し話を聞いただけで数日後には全く知らなかったこの場所のスタッフに。

はじめのうちは聴いたことのないジャンルの音楽を毎日のように耳にして刺激を受け、リハーサルの時間からのスタッフ、出演者の動きや企画を知り本番で創りあげられるステージのその意味をほんの少し違うところから垣間見たり、今やすっかり有名な得三の美味しい料理とお酒を笑いと感動でウキウキした表情のお客さんのところへこっちもわくわくしながら運んだり。

ライブ風景

それだけでも充分な楽しさであったけどまだまだ世間知らずだったワタシに『おまえ、そんなことも知らんのか!』と妙に嬉しそうに下ネタや、下ネタややっぱり下ネタを教えるオーナーの森田さんをはじめスタッフも濃~い濃いメンツ揃い。

音楽に携わる人は勿論のこと、デザインをもうひとつの仕事にもつ人、旅行が大好きでしょっちゅういなくなる人、陶芸をやっている人、実はギャンブル好きの人、とにかく美味しいものやお酒に目がない人。

仕事の隙間に話すことは、音楽以外にもいつだって話題に富む。常連さんとだって恋愛相談し合うくらいの仲にも。それぞれが違う生活で、好きなものも違うけ ど得三ってばなんて楽しいの!って共通点で繋がっていてその仲間意識なのかそれぞれに、包み込んでくれるような優しさがある。

そんな人達との関わり合いも居心地のよさに繋がっているのかも。得三で知った音楽も様々ながら今、自分の楽しみを語るには欠かせないものばかり。本当に得三に出会っていなかったら今頃自分はどうやって人生を楽しんでいたんだろう?っ て言っても全然大袈裟じゃない。森田さんのお父さんの名前から付けられた『得三』。

落ち込んだ時に行っても、なかなか元気な時に行っても、更に元気になれ るこの場所は第二の家族が集まる空間。既に得三デビューをしている2歳の息子にもこうして受け継がれていくのか、と思うと最近になってこの名前が付けられ たことに感動したりする。

ポニーキャニオンから メジャーデビューした the arrowsのベーシストとして活躍

坂井”キャンディ”昌英さんは6年前までTokuzoで主にキッチンをやっておりました。

愛されキャラの優しい兄貴的な存在でありました。現在はポニーキャニオンからメジャーデビューした the arrowsのベーシストとして活躍。東京在住。

僕 が得三に出会ったのは、大学を卒業してバンドで頑張ろうと思っていた頃でした。

坂井

何度か呑みに行く内に、ほぼ飛び込みのような形で働きたいとお願いしたとこ ろ、運良くキッチンに潜り込む事が出来ました。

得三で働いていた時は本当に楽しかったです。毎日のライブやお店で流れる音楽が 刺激的でしたし、ライブ後のミュージシャンや常連のお客さんといった、得三に集まるぶっ飛んだ方々にお馬鹿な話から音楽の貴重な話までいろいろ聞かせて頂 きました。

今ならもっと吸収出来るものがあるんじゃないかと当時に戻りたい気持ちが正直すごくあります。音楽のおの字も分からず漠然と夢を抱いていた僕に 音楽と真剣に向き合うきっかけを与えてくれた場所かなと思います。くさいですけど青春だったなと。

あと、面白かったのはキッチンで季節の新メニューを考させてもらった事ですね。すごい斬新なメニューを真剣に考えたり、キッチン内で誰のメニューが1番売れるかなんて競ったり、従業員みんなで作り上げる感じる がすごい一体感を生んでましたね。

昔、バンドでアルバム作った時に森田さんに「バンドは面子である。」という今でも大事にしている言葉をもらったことがあ るんですが、お店も面子だと思うんですよね。本当に切磋琢磨出来るいい面子が揃ってたなと思います。きっと今も森田さんの元にそういう人達が集まってるん でしょうね。辞めて6年くらい経ちますが未だに灼熱のキッチンの中でライブ前のめちゃくちゃ忙しい時間帯にてんてこ舞いでフライパンを振っている夢を見ま す。僕にとって得三とはそんな場所なんです。

坂井”キャンディ”昌英名古屋出身のロックバンド、the ARROWSのベーシスト。最近はサポートベーシストとしても活動中。

the ARROWS WEBサイト

日本では珍しい本格的な女性R&B、Bluesシンガー千賀有花さん

レディーブルースを盛り上げるために精力的に活動中。

千賀さんは現在、東京在住、1920年代~70年代の黒人音楽を敬愛する【J-BLUES】提唱者。レディーブルースを盛り上げるために精力的に活動中。


 「表現者もお客様もスタッフも、音楽を愛する者たちがあらゆる形で交差し拡大していく文化の交流地点が今池得三」

千賀有花

も ともと古い黒人音楽が大好きだった私は、学生の頃から歌を歌い始めた。そんな頃出会ったのが得三。初めて行った日に得三オーナー森田さん率いるバレーボー ルズの演奏と、山のようにあった貴重な古いレコードを見てすっかり舞い上がりその日のうちに森田さんに『働かせて下さい!』とお願いしていた。凄く緊張し て言ったのに、『おう、よろしくな。』とあっさり森田さんが答えてくださったのを今でも印象深く覚えている。

ライブはブルースはもちろん、フリージャズ、民族音楽等、オールジャンルで芝居や舞踏、映画まで!全国からありとあらゆるジャンルのトッププレーヤーや面白い文化が集まっていて、当時学生だった私にはあまりにも刺激的で楽しい毎日。仕事が休みの日まで得三に出かけていた。

また、スタッフということで、リハーサルの様子や楽屋での打ち合わせを見ることができ、決してライブを見るだけではわからない、ミュージシャンの生の声に触れることができ刺激を受けた。

そ してライブが終わったらすぐ閉店してしまうライブハウスとは違い、得三は朝までやってる呑み屋である!というわけで、ライブ後の打ち上げも得三で。憧れの ミュージシャンが呑んでホンネを語ってくれたり、意外な一面を見せてくれたり、お客さんとミュージシャンがなんの隔たりもなく交流出来るのがとても新鮮で 嬉しく感じた。

現在東京で歌手活動をしている私は、得三での経験がしっかりと現在の私の活動の根幹にあり、またそうである事をとても誇りに思う。

そして、名古屋に帰った時は森田さんや、スタッフのみなさん、お世話になった常連のお客様におかえりっ!と声をかけてもらえる私の第二の実家でもあり、私にとってかけがえのない大切な場所である。

表現者もお客様もスタッフも、音楽を愛する者たちがあらゆる形で交差し拡大していく文化の交流地点が今池得三だと思う。

 

お得情報をお届け!メルマガ登録こちらから
スマホ、ガラケーでこのサイトをcheck
QRコード

ライブ予約はこちら

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加

友だち追加数

ページ上部へ