9/1(土)深夜、今池商店街の人達が来る。こうして夜な夜なおじさん連中が集まり出すと、今池祭りが近付いてきた感じがひしひしとする。商店街なんてめんどくさいだけだろうと思う人もいるかもしれないが、これがなかなか今池の場合は面白い。今池育ちの二代目、三代目の人達と、間借りで店をやっている僕のような者が、ぐじゃぐじゃと一緒になってなにかをやるわけだが、昔からの爺さん連中もあれこれ言い出すし、内部の事情が判ってくれば判ってくる程、ややこしくて複雑なのが見えてくる。あーでもないこーでもないと、今池商店街は日々熱く奮闘しているわけです。今池祭りは今月の23〜24日です。メイン開場ライブのスケジュールは次のとうり、みなさんこぞっておいでくださいまし!!

23日
5:30 REWAIND
6:30 BACK RUSH BORN
7:30 リバーヴス 

24日
5:30 いちごメロンSHOW
6:00 ふちがみとふなと(from京都)
6:50 バレーボールズ
7:40 原爆オナニーズ
8:30 遠藤賢司&石塚俊明
9:30 終演

9/2(日)10/13(土)に得三で行われる「詩のボクシング」の予選が劇団「PH-7」のアトリエを借りて行われた。各新聞やテレビでの報道が利いたのか、参加者は40人を越える大人数。僕は何故か審査員にかりだされ、昼から全員の朗読を聞くことになっていた。文学などというものには、まるで素人の僕に優劣をつけられるのだからたまったものではないと思うのだが、本人達はきわめて真面目。冷やかしで来ているような人は一人もいない。僕は眠くなったらどうしようと思っていて、主催の桑原君にも「寝るのだけはやめてください」と強く言われていたのだが、これがどうしてどうして、寝るどころか実に楽しめました。下は13歳の中学生から、50過ぎのおじさんまで、バラエティー豊かな人達が、それぞれの個性を出し合って競う名古屋大会への切符。見られなかった方、ご心配なく!そのバラエティー感を損なうことなく名古屋大会は行われるでありましょう!本番はさらに、来年行われる全国大会の出場権をかけてのトーナメントです。今回は初めて人前で詩を読んだ、という人も少なくないのですが、各自策を練ってくるものと思われます。お楽しみに!!
 この日、日本語でキューバのソンをやっているドス・キゼオスというバンドの須藤君のお母さんが亡くなったとの知らせを受ける。こんな時は、気のおけない友達が来ると、ホントにホッとするものなのだ。いとうたかお氏と深夜お通夜に顔を出すと、須藤君は金の心配ばかりしている。みんなも、かつて自分が経験した葬式の金銭勘定の知識を総動員して、色々智恵をつける。しばらく金の話をしてたのであるが、いつの間にか話は須藤君のキューバ旅行のことになる。とにかく飯がまずい、食えたもんではないと、熱弁を振るう彼にしばし笑う。しかし、最後には墓の話になる。須藤君やいとう氏は僕より少し年上だが、僕らはいつの間にか、墓の心配をする歳になってしまったんだなぁ。結局朝方の4時過ぎまで呑んで帰ってきたのであった。

9/3(月)中川イサトとハッピー・トラウム。ハッピー・トラウムという人はアメリカのフォーク・リバイバル運動の中に、50年代からいた人で、ボブ・ディランの先輩にあたる人らしい。ミシシッピー・ジョン・ハートやブラウニー・マギーなどの音楽を伝承し、消化しているのがとてもよく判る。以前来た、ジェフ・マルダーなんかも同じような感想を抱くのだが、実に真面目で人がいい。いとうたかお氏が「ブルースをちゃんと伝えているのは白人なんじゃないか」みたいなことを言っていたが、う〜んどうなんだろう。僕としてもその実直な音楽に尊敬をいだく。いいとは思うのだが、残念ながら僕には彼らの演る音楽がどうしてもブルースには聞こえないんである。こりゃ決定的にブルースでは無い、とさえ思う。両者の、人を音楽にかりたてる衝動の質が、正反対ほど違うように感じるのだ。そして、ボブ・ディランという人は彼らより、絶対に人が悪いのではないかと思ってしまうのであった。

9/4(火)夜、「詩のボクシング」主催者の桑原君がやって来てうち合わせ。16人も出演者がいるのだから一人につき5人呼んだって80人になっちゃうだろう、と言ったらそういうことにはならないのだそうである。出演者は、実は家族や友達に内緒で出る人達が多いとのこと。えっ!と思ったが、よく考えるとなるほどそりゃそうなのである。今回の出場者は、先日の予選で初めて人前で詩を読んだ人達なのだ。詩を書くというのは、音楽をやるというのとはちょっと違って、静かに隠れて行える行為である。自分が詩を書いているなんて、きっと他人には言ってないのであろう。予選で聞いた詩も、自分が不満に感じていることや、誰にも言えずに考えていることを詩に託したようなものが少なくなかった。そんな引っ込み思案な人達が結構詩を書いたりしているのだ。そんな人達は、きっと、人前に出てその詩を読むなんてのは、とんでもない勇気を要する事に違いない。きっとその辺が聞く人にとっては惹きつけられるのだ。新聞等での露出も多い今回の「詩のボクシング」は、噂が噂を呼んで、満員になってしまう予感がする。あまり立って聞くものでもないだろうし、桑原と120限定にしようと決めた。そんなわけで、チケットは早めにどうぞ!

9/5(水)今月は日本のジャンプ・ジャイブ系のバンドが目白押しだ。この日の藤井康一Lttle Jive Boys、15日の吾妻光良、27日のバンバンバザール、これで日本の3大ジャンプ・ジャイブ・バンド揃い踏みの感がある。なんでこう重なるんだろう。バラケて来いよバラケてっ!この日はまず、名古屋のジャイブ・ジャグ・バンド、ブギウギエース&ザ・リズム・キングスが盛り上げたところで、Lttle Jive Boysの登場!会場の後押しにも乗って、暴れまくっておりました。こういう音楽は楽しくないと始らないのであーる。

9/7(金)長野のSO-DO。ライブの後、メンバー達や旧オープンハウスの店員だった沢田と呑んでいたが、ここ数日の寝不足で、うっかり楽屋で寝てしまう。起きたのは閉店近い5時。SO-DOのメンバーはとっくに僕の家へ寝にいった。ありゃま、と帰ってみると、ボーカルの飽田さんがまだ起きてカミさんと呑んでいる。おぉ!俺も一杯頂こうか、と入っていくと、ソファーで沢田までもがグウグウ寝ているではないか。彼はこうなるとなかなか起きないのだ。寝かせたままどんどんと呑む。7:00になって、沢田はそろそろ仕事だろうと思い起こすと、返事はするのだが目を開けたまま寝ている。もう知らん、と僕たちも寝ることにする。

9/8(土)ドス・キゼオスは日本語によるソンのバンド。ソンとは、「ブエノ・ビスタ・ソシアル・クラブ」で一躍注目を集めたキューバの20〜40年代に全盛を迎えた音楽で、今のサルサの根幹となる音楽である。スペイン語と日本語は母音が似ていて、古くからラテンのメロディーには日本語が乗っかりやすく、歌謡曲の中にも随分入り込んでいるのだが、この二人の作る曲は(ソンの原曲に日本語の歌詞をのっけたものも多い)違和感無く日本で暮らす僕たちの心の中に入り込んでくる。そしてこの日は、トレス奏者の末永さんがゲスト。末永さんは昔京都でブルースバンドをやっていて、その後ラテンにはまり込んでしまった人で、今は東京で活躍しているのだが、ひょっとして日本一のトレス奏者ではないか。ある時は唄に寄り添うように、ある時は後ろから煽るように、縦横無尽に動き回って、しかもうっとうしくない。末永さんの加入でドス・キゼオスは一層引き立ち、ダンサブルになったのでありました。また一緒にやってくれぇ!
 終わってから呑んでいたら、先日お母さんを亡くした須藤君、この日が初七日だったようで、まだバタバタと大変そうでした。葬儀の時の娘の挨拶を聞いて「娘はすでに俺を越えた」と言ってましたぜ。

9/9(日)この日は、リンダ・アンド・ザ・ビッグ・キング・ジャイブ・ダディーズというやたら長い名前の若いジャンプ・バンド。アメリカ人の友人から「ロスで40年代のジャンプ・ブルースみたいのがリバイバル・ブームになっていて、若い奴らがズートスーツ着て、コットン・クラブで踊ってたみたいなダンスをしてる」と聞いて、にわかには信じがたい思いを抱いたのは何年くらい前だろうか。すぐにブライアン・セッツァーのCDが話題になって、なるほどストレイ・キャッツの奴がやってる訳ね、と納得したのだったが、その若い世代のジャンプ・ブームってのは日本にもあったのだろうか?この日は、藤井康一や吾妻光良等、古くからその手の音楽を追究して来た人達と違って、ブライアン・セッツァー達の音楽から、その世界に入った人達である。僕たちブルースから興味を広げてジャンプに至った人種から比べると、黒人音楽であるという頑なな逆差別感は無く、もっとストレートにダンス音楽です、という匂いがする。オールディーズっぽいってのかしら。吾妻さんが、ジャンプ・ブームに乗れるか!と思ったが、全然お門違いだったのはよく判るような気がするんであった。だって求めてる質が全然違うんだもの。

9/10(月)台風がやってきた。先月の台風の時は、去年の記録的な大雨で名古屋が水浸しになってしまったというのが頭に残っていてちょっと警戒したのだが、それが思ったほど何と言うこと無かったので、今回はもう余裕である。それでもお客さんからは「今日は予定どおりライブが行われますか」という電話が相次ぐ。20本くらい有ったぞ。有りますってばぁ!そう簡単にライブは中止にゃぁなりません。
 ムーンライダーズの武川雅寛さんと、白井良明さんである。TOKUZOのPAシステムをコーディネートてくれた、ムーンライダース狂の水野健男によると、この二人はムーンライダーズの中では、明るい部分を担当しているのだそうである。しかし明るいったって、ムーンライダーズだ。カリフォルニアの青い空みたいに明るいわけではない。良明さんは、音楽的には一ひねりある仕掛けを随所に盛り込みながらも、基本的にはストレートにロックを感じさせる。かたや武川さんは、もっと広くヨーロピアンな要素があって、ちょっとセンチメンタル。ベテランの二人は、今さらどうにも変わり様のない自分の確固たるモノを、互いに尊重しながら披露してくれたのでありました。鈴木博文、鈴木慶一に次いで今日の二人、年末か年始にかしぶち哲朗さんがやって来くる予定なので、残るは岡田徹さんでムーンライダーズはロン!光栄に思っております。

9/11(火)自分の所を台風が行ってしまったからといって安心してはいけません。今回の台風は関東の方が被害が大きいようで、東京では結構被害が出ている。そして、出演バンドのコイルは案の定高速でひっかかってしまったのであった。5時の時点で名古屋着が8時くらいになるだろうとのこと、ヤバイッ!!ヤバイが仕方がないのである。とりあえず事情を説明して、お客さんには待って貰うことにする。6時頃にまた電話が入って9時になってしまう。得三は周りの苦情の関係で、10時を越えると演奏が出来ない。小さな音ならいいのだが、音の小さいコイルってのはいただけない。9時から短めに演奏して、チャージを少し返そうという事にする。そして、8時近くなってまた電話「今やっと走り出したがまだ250?くらいある」とのこと。そりゃ、無理です。「走れメロス」の様な気分で待ってくれていたお客さんに事情を説明して、払い戻し。鬼怒無月さんが、今日来てくれたお客さんには未発表のライブCDRを送ると言ってくれたので、お客さん全員に住所を書いて貰う。いいお客さんばかりで、混乱もなく受け入れてくれました。だってこれはしょうがないですもんねぇ。毎日ライブをやっているとこんな日もあるということでしょう。必ず、店には寄りますとの事なので、時間のある方は待っていて顔だけでも見てってください、と言うと残って呑んでくれた方も多かったです。
 10時頃、バレーボールズの田中もQより電話。ニューヨークのワールド・トレード・センター・ビルに飛行機が突っ込んで大騒ぎになっている、どうやらテロらしいとのこと。とたんに血が騒ぎ出す。こういった、事件とかアクシデントとかのニュースには、不謹慎だとは思うのだが、いつも興奮してしまう。慌てて3階へ行って、映りの悪いテレビをつけると、二台目の飛行機がビルに直撃する瞬間の映像が繰り返しオンエアーされている。おまけに旅客機だとのこと、一目で被害の甚大さが分かる。巨額の制作費をかけたハリウッド映画みたいな迫力だ。ニュースは次々に入り、ペンタゴンにも突っ込んだ、トレードセンタービルが倒壊した、と次々とショッキングな映像が映し出される。もうめちゃくちゃだ。11時近くなって、やっとコイルが店に着いたが、僕はとにかくニューヨークの事が気になって、12時前に早々と家に帰ってテレビを観ることにする。

9/12(水)「ビルは壊せても、アメリカの精神は倒れはしない」みたいなことをブッシュが言っていて、猛烈に頭に来る。この台詞を力の弱い国が言うのであればとても共感するが、世界で圧倒的な腕力を持つ国が言うのは嫌み以外の何者でもない。つくづくアメリカはカチンとくる国だ。「これはもはやテロではなく戦争」なんだそうである。テロと戦争は何処がどう違うのか、そして何をもって今回の事がテロではなく戦争なのか、一切の説明はない。ましてやまだ相手が誰かという確証すらないのにである。最初からイスラム原理主義を、自慢の腕力で叩きつぶしたいばっかじゃないか。相手を追いつめておいて、反撃を受けるとこれ幸いと総力を傾けて根こそぎ叩きつぶしにかかる。これは山口組が全国を制覇したのとまるで同じやり方である。アメリカの言う「和平」は、共存などではなく制圧だ。そして今、制圧を正当化するために世論を味方に付け、入れ墨をチラチラ見せて脅しながら他の国のお墨付きを獲得しようとしている。そんな大人げのない、弱いものいじめのどこが正義なのか。
 この日はライブがなく、今年初めての墓参りに行く。松阪でホルモンを食べて、ハンキー・ドゥリーというう店でしこたま焼酎を飲んで寝た。

9/13(木)せっかく三重まで来たので、伊勢神宮に寄ることにする。昔京都でブルースバンドをやっていた外村君という人が参道で喫茶店をやっているというので、顔を出す。たまにライブもやっているようで、今度ボン・トン・ルレが来るらしい。神宮からおかげ横町へ行く途中の右側、うどん屋と酒屋の間です。「カップジュビー」(0596-23-8560)、みなさんお伊勢参りの時には寄ってあげてください。
 帰ってきて店へ。ライブはレピッシュの上田現さんである。彼の今回のテロに対するコメントは「メジャーリーグの選手が、今は野球をやっている場合ではないと言っていたが、こんな時だからこそ、自分が普段やっていることを、いつもどうりしっかりやるべきだ」。ちょっと、判りにくい話だったが、とにかくアメリカやそれに追従したマスコミの報道には、眉に唾して接しているのが判る。とにかく、自信満々で戦争に突入していくノーテンキさと、それをよしとする報道の芸の無さに気持ち悪さを感じているのだと思う。アメリカ内部でも、政府の発言に反感を持っている人達は山ほどいるはずなのに、表には出てこない。あきれるほど単純な報道操作である。

9/14(金)大原裕(tb)率いるスカ・インスト・バンド「HI-KINGS」まず、曲がいい。カバーの選曲もセンス・バッチリ!大原氏がソロを吹き出すと、とたんにバンドが躍動し出す。楽しさ満点の得するライブでした。大原氏は「ワールド・トレード・センターで亡くなった人達に捧げます」と言ってビリーボーン楽団の「星の彼方に」という曲を演奏した。大原氏らしいな、と思い気分がよかった。
 今回のテロ事件報道で、航空評論家の青木さんが出てこないのでおかしいなと思っていたら、遂に登場。彼はニューヨークから中継で画面に現れた。えっ!偶然アメリカにいたのか!それとも何らかの方法で慌ててアメリカに行ったのか!なぜ青木さんのことが気になるかというと、実は僕は青木さんと温泉へ行ったことがあるのだ。一緒に温泉に浸かり、酒を呑んだ仲なのである。どうだ、すごいだろうっ!
 アメリカでは教会で追悼式が行われたという。宗派を越えて集まったのだそうだ。黒人の歌手が歌っていたが、それはゴスペル歌手ではなく、ものの見事なベルカント唱法のオペラ歌手。ここでもブッシュは全力を挙げて、卑劣な犯人達とそれらを養護するものを叩きつぶすと発言。僕は「聖ヤコブ幼稚園」という所の出身で、右の頬を打たれたら左の頬を差し出すのがキリスト教だと聞いていたが、ありゃウソか。

9/15(土)今日で3回目となる吾妻光良Nagoya Jump Meetingである。吾妻氏の見事なアグレッシブ・
ギターが随所で炸裂しまくる。昨日に続いてご機嫌に楽しいライブであった。今回はチューバに吉野君が参戦、色をつける。「吉野さんはチューバ科出身です。チューバカ、中途半端なバカですか」なんていいながらエネルギッシュに歌い、ギターを弾く。そんな吾妻氏のテロ事件に対するスタンスは「こんな時にどうかと思いますが、火事の歌をやります」であった。いさぎよい!
 しかしアメリカは、どうにもこうにも戦争がしたくて、したくて、したくて、したくて、しょうがないのである。こうなってくると、はじめから戦争にしたくて、わざとやられたんじゃないのかとさえ思えてくるではないか。だいたいペンタゴンがあんなに無防備にやられちゃうものなのであろうか?ミサイル等に対して、世界一警戒しているはずのペンタゴンの迎撃設備は並大抵のものではないはずだ。旅客機だったので躊躇したのでは、という声もあるが、どうにも説得力に欠ける。ワールド・トレイド・センターの情報はもう入っていたはずだしね。ここ数日呑みに来る僕の友人達は、おしなべてみんなアメリカに頭に来ている。テロ自体が自作自演だったんじゃないかって極端な声もあるが、まんざら荒唐無稽な話にも聞こえない。

9/16(日)テロ事件の火の粉が思わぬ所で降りかかってきた。楽しみにしていたブライアン・ウィルソンの日本公演が延期になるとの噂があるのだ。勇んでチケット買ったのにぃっ!と言っていたら大変なことに気が付いた。来週26日に得三で予定されているマーシャル・クレンショウは大丈夫なのか?ニューヨークからやって来るのだが‥‥。予定では22日に向こうを発つ筈なのだ。

9/17(月)石橋幸〜ロシア俗謡を唄う〜。ロシア民謡など、全くと言っていいほど縁がない。ダークダックスとコザックダンス位しか思い浮かばない、貧しい私である。俗謡と言うからには、そうでないもっと人間くさいものなのであろうと、勝手にあたりを付けて、きっとおどろおどろしい暗い情念みたいなのじゃないかと想像して、ちょっと苦手だなぁと思っていたのだが、違いました。重い部分は確かに有るのだが、なにか吹っ切れていて、躍動感のあるとても素直に入っていける歌でした。重い人生を生きた人には、きっとその中で身につけた、生き続けるための軽やかさの様なものが有って、そこにしたたかな強さを感じるのだが、彼女は、ロシアの歌の中にあるそういった軽やかさや強さをちゃんとつかんでいる感じがしてよかったです。又のご来店をお待ちしています。
 で、アメリカの話である。今朝の新聞に、ニューヨークに観光客がたくさん押し寄せていて、惨状を背景に記念写真を撮ったりしている、という記事を見つけた。そうかと思えば、立派な医者が現場でビデオを回しながら、倒壊したビルの真っ只中へ「医者は必要ないか」と助けに行く映像をテレビでやっている。色んなアメリカ人がいるのである。90%近くが、ブッシュの発言を支持していて、60パーセント以上がアフガニスタン攻撃に賛同しているというのは、ちょっとおかしいんじゃないか。ベトナムで痛い目にあったのを生々しく憶えている人達だってたくさんいるはずで、アメリカという国が、そんなにみんながセーノで右向け右になるはずはない。これまた陳腐な情報操作だろうと思っていたら、次のようなメールが届いた。こまっちゃクレズマーの多田さんからのメールで、アメリカ人作家のスーザン・ソンタッグが9月15日(土)に[Feuilleton」という新聞(?)かなんかに発表したものの日本語訳です。僕自身ここ何日かアメリカの発言と報道に憤懣を感じてきたのだが、そのことがアメリカ人によって告発されています。ここに全文を紹介します。

「 その殺害者たちは卑怯者ではなかった 」
( Feige waren die Moerder nicht )
ショックに沈むアメリカ : 論説の誤った一致性

驚きのあまり声もなく、悲しみに沈むアメリカ人であり、ニュ−ヨ−ク人でもあるこの私にとって、この前の火曜日という日ほど、巨大な現実がわれわれの頭上から崩れ落ちてきたあの日ほど、アメリカという国がその現実の姿から、これほどまでに、大きく遠くかけ離れてしまったように感じられた日はなかった。
起こった出来事と、その出来事の受け止められ方と、理解のされ方の間におけるアンバランスは、すなわち一方では、ほどんど総ての政治家たちと( NY市長のジュリア−ニを例外として )、他方においては、テレビ解説者たちが ( Peter Jennings を例外として )まったくひとりよがりのナンセンスな言葉や、恥を知らずの欺瞞に満ちた発言ばかりに終始していたという状況は、私の心を不安に陥らせ、重く憂鬱にさせるに十分過ぎるほどであった。
この出来事を解説する( ことができる権限を持った )声というものは、あるひとつのキャンペ−ンを展開させようとひそかに示し合わせているのか、とさえ私には思えた。
彼らの目的とは: 世間一般を、これまで以上に愚民化することである。
今回の出来事は、”文明”や”自由”、”人間の尊厳性”または”自由社会”に対する”卑怯”な攻撃などではなく、アメリカ合衆国に、世界で唯一の、自称最強国に向けられた攻撃なのであるという自明の事実を、どうして認めないでのあろうか ?
この攻撃は、アメリカという国がとった政治、国家利益の追求とその行動によって導かれた結果であることを、なぜ認めようとしないのであろうか ?
アメリカが、現在も、イラクへの爆撃を続けていることを、果たしてどれだけのアメリカ人が知っているのであろうか ?
もし、”卑怯”という言葉を口にするのであれば、その言葉はむしろ、報復爆撃を空から行う者に向けられるべきであって、他の人間を殺すためには、自らの命をも断つことを覚悟した者に向けられるものではない。
もし、われわれが勇気について、この唯一の、道徳的な見地からみて中立である美徳について語るのならば、暗殺者たちを、− たとえ、彼らをどのように呼ばわろうとしようとも −、彼らたちを卑怯であると非難することはできない。
われわれの政治リ−ダ−たちは、声を揃えて、すべては正常な状態にあると信じ込ませようとしている。
いわく;アメリカは何も恐れてはいない。
    われわれの精神は不屈、不変である。
     ”彼ら”を探し出し、”彼ら”に罰を与えるであろう。(誰がその”彼ら”であろうとしても)
アメリカは、これまでと同じように真っ直ぐに、揺らぐこと無く立っていると、まるでロボットのように国民の前で、何度も、何度も、繰り返して述べる大統領がこの国にはいる。
つい最近まで、ブッシュ政府の外交政策を激しく批判していた公務に携わる多くの人物からは、いまや、ただひとつだけの声が聞こえるだけである:
それは、彼らが、アメリカの全国民と一緒になって、全員一致して、恐れることなく大統領を支えていこうという声である。
テレビの解説者は、われわれが死を悲しむ人々のために、心の支えとなるべく?命になっていると報じている。
 当然のことながら、国際貿易センタ−の中で働いていた人々が、どのような変わり果てた姿となってしまったかを伝える、戦慄を起させるような画像はわれわれの目には示されていない。
そのような画像は、われわれを意気阻喪させるだけであろう。
ようやく、2日が経過した後の木曜日になって( ここでもジュリア−ニ市長は例外であったが )、 初めて、犠牲者の数についての公式発表がなされた。
あの火曜日は卑劣な行為があった日として、歴史に記録されることになり、アメリカが再び戦争に直面した日とされているにもかかわらず、国民には、すべては正常な状態にある、または、少なくとも、正常な状態に戻りつつある、とアナウンスされていたのである。
何がいったい正常な状態であったと言えるのであろうか ?
そして、今回の出来事は、あの真珠湾とは何ひとつとして共通するものなどありはしないのだ。
いま、最も真剣に反省され、考慮されなければならないことは、− おそらく、すでにもうワシントンやその他の場所で始まっていることではあろうが −、アメリカ諜報機関が露呈したとてつもない無能さぶりと、特に近東における、これからのアメリカの政策の在り方と、それと、この国における きちんとした軍事上の防衛計画についてである。
しかしながら、はっきりと判ることは、この国の指導者たちは、 − それは、いま現在職務についている者、その職務につこうとしている者、また、かってその職務にあった者らを総てをふくめて −、 唯々諾諾としたメディア、マスコミの力を借りて、一般大衆にはあまりに多くの事実は知らしめまいと、心に決めていることである。
かって、われわれは、ソビエトの政党大会において聞かれたような全員がこぞって拍手賞賛し、自分たちだけが正しいとする月並みな発言を軽蔑し、さげすんでいた。
ここ数日のメディア、マスコミにおける、ほとんど総ての政治家と解説者たちの口から出てきた、いかにも信心家ぶった、現実の姿をゆがめた美辞麗句による画一的な一致は、民主主義にはふさわしくないものである。
またさらに、わが国の政治指導者たちは、彼らが彼らに与えられた仕事とは、世論を操作することであると
理解していることが明らかになった。
それは、国民の信頼を得るための操作であり、死者への悲しみと苦痛を上手に処理するための手際である。
政治は、ひとつの民主主義におけるこの政治は、− 意見の不統一と、矛盾を結果としてもたらし、率直さを促進させながらも−、精神療法と取って替えられてしまっている。
われわれを共にして、死者を悲しまさせんことを。
しかし、われわれを共にして、愚行に身を任せることの無きことを。
ほんの僅かな歴史に対する意識が、すでに起こった出来事とこれから起こるであろう出来事へのわれわれの理解を助けることであろう。
” わが国は強力である ”この言葉は、すでに何度も、何度も繰り返し聞いた。
私には、この言葉はちっとも慰めにならない。
いったい誰が、アメリカは強力であることに疑いを持つというのであろうか ?
しかし、現在、アメリカが示すべきものは、ただその強さばかりではあるまい。

ENDE


注: * Susan Sontag はアメリカの作家、1933年生まれ。
   * 事件が起こった9月11日、アメリカン・アカデミ−の
     招待客としてベルリンに滞在。
     NYへ帰るフライトを待つ間に、この寄稿を作成。
   * 原文は英語。

 現在アメリカは、着々と戦力を中東へ集結させ、戦争を正当化させようと必死で策を凝らしている。ビン・ラディンの引き渡し期間に3日という無理千万な条件を出し、事実上の秒読み状態といっても差し支えないだろう。そして、それにヘコヘコ尻尾振って追従する日本という国がある。あ〜〜〜っ、もうっ!

9/18(火)心配していた26日のNYから来るマーシャル・クレンショウは航空チケットがとれたとのこと。よかったよかったと、安心していたら、10/6(土)の李政美さんが、喉の状態が悪く、病院へ行ったら今無理をすると歌手生命にもかかわるような状態で、一ヶ月ほど安静にしなければならないという。判りました。ということで中止になりました。そしてさらに衝撃が‥‥。10/4(木)の個人的にも心待ちにしていたキューバの歌姫、ハイラ・モンピエがチケットが手配できず来日中止になったと言う。ガビ〜〜〜ン!えらいことだぁ!お願いします、といってサルサ関係者に相当数のチケットを手売りしてもらうよう渡してしまってある。あした連絡をとってみんあにあやまらなきゃぁ。このページで毎日のようにアメリカの悪口を書いていたので、報復されたのかしらん。両公演を楽しみにしてくれていた方々、申し訳有りません。すでにチケットを購入された方はご一報下さい。すぐに対処いたします。

9/19(水)今日はライブが無いので、事務所の棚を作ることにする。下の駐車場でベニヤを切ってトンカンやっていると、前を通る近所の人が色々声をかけてくる。こういうときに冗談の一つも出てくれば上出来。人が並んだり、音のことがあったり、なにかと迷惑をかけてしまうので、普段からのコミニュケーションが大事なのですよ。

9/20(木)先日のスーザン・ソンタッグの文章に続いて、今日も何通かテロ事件関係のメールが届く。募金をしてアメリカの新聞に、戦争を止めようと言う一面広告を出そうというものもあった。僕の話す人達はみんな今のアメリカの態度に憤りを感じている。報道と、一般市民の感情がこんなにあからさまに違うというのも珍しいのではないか。そろそろ週刊誌が今回の事件をとりあげているが、正面からアメリカに異議を唱える論調のものはまだ出ていない。テレビに出てくるイスラム研究家の人達が、頑張ってそれとなく一方的な報道に釘をさしているくらいが救いである。

9/23(日)今池祭り初日。今回は天気の心配をしなくていいので、めちゃめちゃ気が楽だぁ。僕の仕事は3時くらいからなので、ブースを歩いてみる。人出は上々のようだが、話を聞くと安いものしか売れないと言う。やっぱ、不況なのかしらん。一回りして機材をステージまで運ぶ。去年はこれで痔がでてしまい、今池祭りの後えらい事になってしまったのだった。気を付けながら作業をする。毎回観るノリパンはちょっと世代変りしているようで、知らない顔がチラホラいました。考えてみりゃ、今池祭りも12回目になるのである。

9/24(月)スタッフをやりながら演奏もするというのは、周りで考えているよりも疲れるものだ。でも、今回京都から呼んだ「ふちがみとふなと」が評判が良くてホッとする。原爆オナニーズはギターアンプがとんで、途中で演奏中止になっちゃったけど、遠藤賢司さんが、頑張ってくれた。ドラムのトシさんと、演奏中に目が合って、ほんとに楽しそうに叩いているのが判る。終わってから得三で打ち上げ、エンケンとカレーの話をする。エンケンさんのカレーはピラミッド型にごはんが盛ってあるらしい。横尾忠則が食べに来たこともあるんだって‥‥。とにかくへとへとだけど、去年のように痔は出ていない。よかったぁ〜っ!

9/25(火)昼起きると体がボロボロで、縦になるのがやっと。死にそうだぁ!!でも、行かねばならぬ、今日は中野督夫プロデュースのDUO4組のライブで、結構忙しいはずだ。やっとこ仕事をやって、ゆっくり飲もうと思うが、いまいち調子が出ず。

9/26(水)まだだめである。体中がダルく力がはいらないのだが、むりやり起きて歯医者へ。そして、ライブは、なんとかチケットを確保してニューヨークからやって来てくれたマーシャル・クレンショウ。僕は知らない人だったが、熱心なシンガー・ソングライター・ファンや、アメリカン・ロック・ファンには人気の有る人らしい。一曲目できまじめで真摯な人柄が伝わってくる。言葉が後から後からどんどん溢れ出してきて、こちらに投げかけられるのだが、なんだか、彼自身にはそれでも言い足りなさそうな、もどかしさを感じる。詞の内容は全然判らないが、彼の抱えている問題やジレンマは、たとえそれが個人的な事柄であれ、今のアメリカの抱えている問題と関係しているはずなのだ。時が時だけにそんなことを思った。

9/27(木)バンバンバザールは、いつの間にこんな人気者になったのだ。なんと200人を超す大入りだぁ!当然スタンディングなので、いっそのこと柵を出しちゃおう、ということになった。全然似合わないが、その不釣り合いさもまた彼等らしくて面白い。ステージは2時間半にも及ぶ大奮闘!最後には柵を乗り越えての会場乱入もあり、大盛り上がりでした。終わってからも、飲めるお客さんで店内はいっぱい!お疲れさまぁ!

9/28(金)「ふう」は今まで一番やりたいことが判りやすかった。対バンの京都のバンドも二つとも楽しかったです。終わってから、バンドの連中と飲んでいたら、昔の知り合いから、ニューヨークタイムズに平和を訴える一面広告を出す募金の話の電話があった。このところニュースでも、平和を訴える○○ってな話が多いんですが、平和平和と「イマジン」唄ってりゃブッシュが戦争をやめると思っているんだろうか?アメリカ政府は平和のために戦争をやる、という大義名分のもとに進んでいるのであって、通り一遍の平和を求める運動などは、一切気になっていない様に思える。たとえば、アメリカがイスラム圏でやったことを、客観的にすべて書き連ねた一面広告なんかのほうが、効果有るんじゃないのか。アメリカ人って自分の国が外でなにをやってるかを、案外知らないんじゃないかと思うからだ。殴られたら、怒る前に何故殴られたのか考えてみるのが普通の良識ってもんだぞ。


9/29(土)ちょうどアメリカツアーをやっていた最中にテロ事件が起こってしまった、Acid Mothers Templeの河端君からメール。とりあえずホームページのツアー日記を読むと、ニューヨーク以外のアメリカ人が、事件自体に想像を絶して関心が薄いことにびっくりする。河端君はメールで、とにかくアメリカは広大でノーテンキで、ある意味なにをやっても敵わないところがある、みたいなことを書いていた。実感なのでしょうな。彼の友人からのメールの抜粋も載っていたのですが、都会の人はそんなことないのだけれど、大多数を占める田舎のアメリカ人というのはとにかく視野が狭い、だからブッシュなんかが大統領になっちゃうんだ、みたいなことが書いてありました。僕は以前、C.W.ニコルが「僕は田舎に住んでいるけど、田舎の人間が大嫌いだ、なぜなら田舎の人間は勉強しないからだ。」とテレビでいっていたのを思い出したのでした。